思いつくまま、気の向くまま 文は上一朝(しゃんかずとも)
シャンせんせいのガンリキエッセー。
センセーの心を襲ったスキップしたいような喜びと牢獄に入れられたような落胆。
なんだ、休講じゃなかったのか
学生にとって休講というものは大げさにいえば干天に慈雨といってよい。
年間の取得単位をうめあわせるために好きでもない講義をとったとき。
この授業をうけるために月曜日の一時限だけいやいや登校していて、その教授が来週は
学会かなにかで休むと聞いたとたん「しめた、日月と連休だ」と思った時のうれしさと
いったらたとえようがない。
しかし、後日教務課の掲示板でその教授は学会のために休むことはまちがいないが、休
むのは火曜日からと知った時の落胆…。この時の気持ちをあらわす言葉は「神も仏もな
い」。そんな無形なものではない。
では失恋、バイト先の倒産、スマホの請求が先月の三倍あった、とか。いやいや、これ
もたとえようのない落胆である。
田島主幹から、「7月の一週は出かけるので休むからよろしく」とメールが入った。
ということは、その週のココ通は休みだと早合点をした。自適な生活を悠々とすごして
いる身はなかなかいそがしい。
毎週ココ通の原稿を書くのはけっこう大変である。いやなら書かなければいいのだが、
長年投稿していると書く時間があるのに書かないとどこかおちつかない。学校をズル休
みしたときの気分である。
自分でじぶんを苦しめているだけなのだが、先方の都合で書かないですむ時は安心して
休める。このときの気分は休講を知った学生とおなじである。
しかし、だてに歳はくっていない。田島主幹に「お出かけだそうだけどココ通も休みか」
とたしかめたところ「どこへ出かけてもココ通は年中無休」と返ってきた。この時の気
分もまた休講をぬかよろこびと知った学生とおなじである。
うれしさのあまり今日29日は、まだ6月だということに気がつかないばかりか、前号
の記事で「古希」と書くところを「喜寿」と書いてしまった。「喜」と言う字が頭をは
なれなかったことは事実である。