思いつくまま、気の向くまま
  文と写真は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
センセーから、あるしみじみとした、タブーについての述懐。



歳の話しはむずかしい




となりの大学のいつものホール。近隣住民に解放されたなんでもホールでいつものバン

ド、近隣住民のアイドルになりつつあるプロ、アマ混成バンドの「バンドマスター生誕

55周年の記念音楽祭」と銘打った演奏会があった。

彼は演奏活動のかたわら小中高校の吹奏楽部の講師をしている。そのために教え子が大

勢おしかけ、みんなで演奏しようという時間に背たけより大きい楽器をあつかう小学生

をみていると、全国吹奏楽コンクールで毎年優勝する小中学校をもつ土地柄をあらため

て認識させられた。

音楽のはなしではない。歳の話しである。

なぜ、55歳を記念するのか。60歳なら還暦とよばれることもあって記念とすること

に納得がいくが、55歳になにかとくべつな意味があるのか考えてしまう。


昔から日本の会社は55歳が定年であった。たしか戦前からそうであったし、なにか意

味があったはずなのだがわすれてしまった。60歳が定年になった現在でも55歳をす

ぎると昇給がとまったり、子会社にとばされるなど55という数字はおおきな意味をも

っている。会社人間として生きるほかに安定した生活手段がなかった時代の男にとって

は55という数字はおおきな意味をもっていた。それがいつのまにか社会慣習の一部に

なってしまい、男の55歳は人生の節目になったのだろうか。


節目といえば男女をとはず70歳は、「人生七十古来稀なり」を語源として長寿を喜び

喜寿とよばれる。

70歳の誕生日をむかえた人間に「年をとったな。おまえさんも明日から71歳を歩む

のか」というと怪訝な顔をする。満年齢というものは、生きてきたとし数を達成したと

きの年齢をあらわす。70歳なら70年生きたときを70歳とよぶ。むかしの数え年と

いうのは生まれた時を一歳とする。なんでも胎内にいるときも人生と数えるそうだ。だ

から満年齢の70歳を71歳として、さあこれから生まれてから71年目を歩みますよ

と言ってくれるので、生物年齢としてはこのほうが正しいとおもうのだが…。


相手が男なら「ふーん、そんなもんか」で終わってしまうが、相手が女性のばあいはこ

うはいかない。

「年をとったな。おまえさんも明日から71歳を歩むのか」と言ったとたん「わたしは

70歳です!」と逆上することはまちがいない。いくら弁明しても聞く耳をもたないこ

とはもちろんである。

女性というものはどうして生物年齢よりも戸籍年齢を気にするのであろうか。異常なま

での加齢への拒否反応。それは、美貌の衰えへの恐怖なのか、頭脳の衰え…そんなこと

はないか。いくら年齢をいつわっても立たない足腰は立たないし、しわが消えるもので

もない。それでも年齢の話しはタブーである。

たとえ、30分、1時間でも年を重ねた話をしようものなら夫婦の間に亀裂をもたらし、

友情をも破壊する。ほんとうに歳の話しはむずかしい


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