3/23の日記          文は田島薫



家人の親父を見送った翌日思い出のビルも見送った


先々週ぐらいに長野に行ってる家人の兄貴から、長野の老人施設に入っている父親が

急に食べられなくなり点滴にした、って報告があったんだけど、流行ってるインフル

エンザなどの影響のためかも、数日で回復するかも、って期待もあり、少し様子をみ

た連絡を待ってから行く日を決めよう、ってことにして、前から約束してた妹の娘が

来訪し宿泊してた先週の木曜の朝6時ごろ、兄貴から、5時頃父親が亡くなった、って

電話があった。

通夜が翌日金曜の午後7時半からだ、って言うことなんで、当日の午後3時前に家人と

家を出て、午後5時長野着の新幹線に乗った。

家族葬にして、遠方や高齢の親族は呼ばずに、孫ふたりと、菩提寺近くにいる甥ふた

りだけ呼ぶことにしたんだけど、88才になる父親の妹や遠方の別のふたりの甥も通夜

と葬式にそれぞれ顔を出した。

通夜は呼んだ甥のひとりと呼ばなかった甥のひとりがふきのとうの天ぷらやおやきを

山のように持って顔を出し読経前に帰り、後から来た呼んだ甥のひとりは読経に参加、

お浄めの酒を飲まない坊さんに続いてに車で帰り、残った兄夫婦の兄貴と私だけ2時

間ばかり酒を飲んで午後10時ごろお開き、兄夫婦は両親のいたアパートの近所であ

る斎場に泊まり、私と家人は歩いてアパートへ行き泊まった。

翌日朝、兄夫婦の子供である父親の孫ふたりと、呼んだ甥のふたりも出席、通夜には

来なかった方が自分の母親である家人の父親の妹を連れ、呼ばなかった甥の通夜には

来なかった方も納棺から火葬場、葬儀と、全7時間もの間みんなと一緒に列席した。

斎場から小1時間の山奥の火葬場から斎場に戻っても、忙しい坊さんが来るまでにさ

らに1時間半待ってから最後の葬儀だ、ってことだったんで、私と家人はちょっと善

光寺まで行って来っか、って、そばの駅から電車に乗った。

寺の近くの駅で下り、さびれつつあるような商店街の古本屋で松任谷由実とUAとジュ

ディマリの中古CDを買ってから大通りへ、家人がお香を買うつもりだったお香の店は

休業のようで閉ってた。仁王門から先行く時間がなさそうなんでそこから最寄り駅へ。

葬儀終了後に兄貴と酒宴、って手も考えられたんだけど、お互いに疲れそうなんでそ

れはまたの機会ってことにして、われわれは夜の新幹線で帰った。試しに北陸新幹線

のかがやきに乗ってみたら、大宮まで1時間、外は夜でなにも見えなかった。

翌日曜日、テレビ見てたら、家人がかつて長年愛用(?)してた渋谷の東急プラザが

本日で閉店、ってことだったで、ふたりで出かけ、最期を看取った。


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