思いつくまま、気の向くまま
  文は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
センセー、おもわず豆まきに力入ったようでしたが…。



豆が当っても




2月3日は節分であった。ことしは、甥っ子が茶目っ気をだして写真のような

豆を買ってきた。

一夜あければ立春、春の到来だ。節分とは季節の分かれ目をさし、年に4回あ

るが春の節分だけ特別扱いされる。それは、立春は「立春正月」とよばれ新年

のはじまりとされたからで、前日の節分に旧年の厄や災難を払い清める厄払い

がおこなわれたからだ。

そのとき豆をまくのは中国のいいつたえで「豆」は「魔目」につうじて悪魔の

目を射ることになる。そういうわけで豆をまくことで邪悪な悪魔を退治するこ

とになるそうだ。


邪悪とか悪魔と書いたが、いま中東には邪悪な悪魔が跳梁跋扈している。

世界でいわれているように「イスラム国は悪魔である」とは言い切れないとこ

ろがむずかしい。たしかに「イスラム国」のやっていることは悪魔的と言って

過言ではないが、かれらを悪魔にしてしまった別の悪魔がいることをわすれて

はならない。


キリスト教の尺度でイスラム教を支配してきた欧米という悪魔。

中東を原油の産地としか見ないで住民の心に目をむけなかった日本という悪魔。

欧米資本主義という悪魔。

犠牲になった二人の日本人と一人のヨルダン人。これを人間三人の命と考える

ともっと多くの一般人の命が空爆でうばわれている。国民がみとめる三人の命

は尊くてそのほかの命はどうでもいいというのも悪魔のなせるわざであろう。

数え上げたらきりがない。はっきり言えることは悪魔が悪魔を生み育てるとい

うことだ。


いくら豆をまいても遠くの悪魔にはとどかない。

では、とどく範囲の悪魔とは…。いたいた、外交の失敗をみとめず、詭弁をろ

うして自分の考えに固執する悪魔。でもこの悪魔は、豆があたっても改心しな

いだろうな〜


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