気着

●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさんが子供の時の、今度は、わが家の思い出。



君よ知るや南の国


小さい時の私の家は、印刷屋でしかも父は町内会の役員やら保護司をやっていたので、

とにかく人の出入りが多かった。

小学校の5・6年生にもなると、私はそのことを激しく嫌悪した。

サラリーマン家庭の友人の家に遊びにいくと、滅多に物音がしないで静かで落ち着いて

いる。

とてもうらやましかった。

わが家といえばしょっちゅう人の集まりがあって、がさつでうるさい。

父も忙しさでイライラし感情の起伏が激しいし、母は社交家だけど人が良すぎる。ああ

はなるまい、と反抗期の私は密かに決意するのだった。

あるとき、何かの集まりで我が家の職人やら町内会の人やらと20人以上が車座になっ

ていた。娯楽を兼ねた無尽だったのかもしれない。

そこに私の見知らぬ中年の太った婦人がきて、歌を歌わせてほしい、といって、仲間に

加わったのだった。

彼女は母の出したお茶を一杯飲むと、やおら立って丁寧にお辞儀をすると歌いだした。

「君よ知るや南の国」という歌曲だった。

手を前に組み、本格的な発声で美しいソプラノである。

皆、ホ〜といって聞き惚れ、終わると、「すごい、すごい!」とか「たいしたもんだ」

などの言葉とともに大きな拍手が湧いた。

一瞬にして舞台となった我が家の居間。

小学生の私も一緒に聴いていて、レコードではなく、初めて生の声で聴くソプラノはす

ごい迫力で記憶の中にしっかり残された。

今、思うに彼女は音大を出ていて何かの発表会があり人前で歌うための練習かもしれな

かったし、自分の実力を見て貰いたかったのかもしれなかった。

長じて、私は念願叶ってサラリーマンと結婚をし、静かで物音のない生活を手に入れた

のだが、生い立ちとは体に沁みつき、いつのまにか馴染んでいたもの。飛び入りで歌曲

を歌うような人が出入りする賑やかな情景が懐かしくてならないのである。


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