●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさんが病気の夫の心情を想像したシリーズの2。



シリーズ あるがん患者のたわごと

死後の世界


先日、テレビで瀬戸内寂聴密着500日というドキュメントを見た。

去年5月にがんに罹り、93才という高齢にもかかわらず、全身麻酔で手術をして復活

した過程が描かれていた。画面に出てくる人懐っこい氏の丸顔はやつれもせずころころ

とよく笑っていた。だが、その闘病はかなり壮絶なようだった。

その寂聴氏をして

「手術前は、極楽なんてつまらなそうだから死んだら地獄へいってみたいわ、と言って

いたんだけど、さんざん痛い目にあってつらい経験をした今はやっぱり極楽へいきたい」

と言わしめる。

寂聴氏は仏教徒だからもちろん死後の世界を信じているのだろうが、現代の人は地獄極

楽はともかくとしてあの世があるなんて信じているのだろうか。

地獄極楽の図を見せられても実際見た人はいないはずだし、また、確かめようにも行っ

て戻ってくることもできないのは誰でも知っている。

科学的立場に立てば、現実に見ることも感じることも確認することもできないものは存

在しないと定義するだろう。

ならば仏教の地獄極楽もキリスト教の天国も存在しないことになる。

つまり科学的に考えれと死後の世界はないのではないか。

そこで死とは無になることと考える。

死ぬということは自分の感覚がまったくなくなることなので、「あの世も「この世」も

認知することはできない。

さらに考えを進めれば、死ぬ瞬間、自分の死そのものも認知できない。

いずれ迎える自分の死だが、結局自分の死にいくらでも近づくことはあっても死に至ら

ない。死に到達した一瞬はすでに自分の感覚がなくなっているから。

限りなく死に向かっているが自分は死なない、そう考えると愉快ではないか。


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