●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさんの肉じゃがの思い出。



肉じゃがの味


私の母は料理が苦手であった。

苦手というよりあまり好きではなかったらしい。繊細で要領の悪い父と違って、社交家で

あり、むしろ商売上やってくる客の応対を得意とした。

その母が好んで作ったのは肉じゃが。

簡単で栄養バランスが優れて、、材料がいつでも手に入るからだろう。

反対に、オオモリさんと婚約した一番上の姉は料理が得意で、同じ肉じゃがを作っても白

滝を入れたり車麩を入れたりしてひと味違う。

ある日、夕食に肉じゃがが出た。その日は仕事が立て込んで残業する職人が二人いて、一

緒に食卓を囲んだ。

昭和の象徴のような丸いちゃぶ台。7人がぎゅうぎゅうに囲んで食べるのが、子供の私に

は何だか無性に楽しかった。

わけもなくクスクス笑いながら、すでにデパート勤めを辞め、家事手伝いとなった姉の作

った肉じゃがをおいしく食べたのだが、会話もなくなんとなく食卓の雰囲気は重苦しい。

それは父がかなり険しい顔をして口を利かなかったからだ。この頃、父の不機嫌は常態化

していていらいらしているのがわかった。そして、頻繁にふんぞりかえった客がやってき

たり、母とひそひそと話したり家の空気はぴりぴりしていたのだった。

食事が終わり、皆が席を立つと、父がオオモリさんに、話がある、と呼び止めた。そして、

部屋には姉と母が残り、またひそひそと長く話が続いた。

それから数か月後、我が家は倒産したのだった。

工場のある家や土地を売り、私たちは借家住まいとなったのだが、母の肉じゃが料理は変

わらず、オオモリさんもそのままつぶれた印刷屋の婿養子となった。


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