思いつくまま、気の向くまま
  文は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
センセーにもそれが来たようです。



とうとう、きたぞー


視力の低下。もの忘れ。いずれも年寄りの特権である。

視力の低下には、老眼、白内障といった医学的なもののほかに見えているのに見えないと

いう現象がある。これは探しているものが目の前にあるのに見えないで大騒ぎをする。視

力というよりも脳神経の問題だろう。

もの忘れにもいろいろある。むかしのことはよく覚えているくせに昨日のことを忘れてし

まう。これが進んでくると今朝のことになり、さっきのことになる。これがもうすこしひ

どくなると、何かをしようとして席を立ったとたんになにをするのか忘れてしまう。わが

老妻がときどきやっている。


もの忘れにはもうひとつ不思議なことがある。

無意識な行動である。老妻の老眼鏡がとんでもないところで見つかることがある。そこは

それまでの行動にまったく無関係でどう考えても眼鏡をおく場所ではない。

さきほど無意識と書いたが冷静に分析してみると意識は働いているが記憶に残らないのだ。

たとえばA地点で必要なことを想いだしB地点に向かう。ところがB地点では眼鏡がじゃ

まだと思うと手じかなところに眼鏡を置いてしまう。そこは通りすがりの目立たない棚で

あったり植木鉢のわきであったりする。こうなると後で記憶をたどって眼鏡をさがしても

おいそれとみつからない。「眼鏡を置いた」という意識がいっさい記憶に残らないのだ。


先日、愛用のコーヒーカップが見つからなくなった。

まず、見えているのに見えない現象ではと、目をさらのようにして探したが見つからない。

つぎに、どこかに置き忘れかと思って、流し、食洗機、キッチンの棚、自分の部屋とカッ

プを置きそうなところをくまなく探したがみつからない。

そうこうしているうちに老妻がリビングのサイドテ−ブルの下で見つけた。どう考えても

カップを置くところではないし、サイドテーブルでコーヒーを飲んだ記憶もない。

いつも探し物でさわぐ老妻を「冷蔵庫の中を見たか」とからかっていたが、とうとう自分

のところにも「魔の忘却」がやってきたようである。


戻る