6/30の日記          文は田島薫



長野へ法事に行って帰って来た


先週の木曜から日曜まで家人と長野へ行って来たんだけど、行きの高速バスの座席

のとなりにひと月ばかりタイの高級ホテルで遊んで来た、って言うおやじに話しか

けられ、読書をやめそのままけっこう楽しく長野まで会話した。

76才だと言うのに若々しいシャープな体型で、財テクでうまく稼いだ金を物価が安

く金利の高いタイの銀行に預け、金利だけで年何ヶ月豪遊しても余る、って、なか

なか賢い生活能力の持ち主らしかった。それでも、タイの貧民層の生活に同情的だ

ったんで、じゃ、今後は空しい遊びの方はきっぱりやめにして、貧民救済のボラン

ティア活動でがんばった方がいい、って余計なアドバイスをしてやった。

家人の両親が住んでたまだ解約してないアパートに一泊、翌日ブランチを食ってか

ら、駅3つめまで電車に乗りそこから歩いて30分の家人の父親のいる老人ホームへ

慰問に行った。日記用に頼まれてた100均で買ったノートや鉛筆類を渡すと、父親

は大喜びして、いっぱいいろんなこと書くのだ、って言った。

老人ホームの帰り、ひとつ手前の駅のスーパーで食材を買ってると、家人の携帯に

到着したばかりのその兄貴から電話があり、スーパーに用事があるんで車で迎えに

行く、って言われそうしてもらい、戻って、私が作ったシ−フードカレーで軽く乾

杯、夜10時前にみんなで寝てから、私だけ1時過ぎに起きて歯みがいたりトイレ行

ったり、朝まで生テレビを小1時間見てから再び就寝。

翌日の土曜の朝、兄貴の車でその女房とわれわれの4人で山寺のさらに山奥のかつ

て幼い家人と家族が住んでた集落にある墓へ行き線香と花を上げ戻って来てから寺

で他の親戚2名を加えただけの簡素な一周忌法要(家人と兄貴の母親の)。終ると

卒塔婆を渡され、あ、そうか、って、また墓まで山道を往復。

昼を途中のレストランで済ませアパートに戻ってひと休み。5時前にタクシー10分

ほどのそばやに4人で行き、塩辛いおつまみ数点とたっぷり量のそばを肴に私と兄

貴だけ銘酒で乾杯。すぐに全員腹いっぱいになり、2合づつほどで、酒ももういい

か、ってことになり、7時には店を出た。帰るとまもなく全員疲れが出て、8時過ぎ

に就寝し、1時ごろ私と半分眠ったままの家人(?)だけ起き、予想以上にしぶと

かったチリに焦るブラジルがPK戦まで行って辛勝したのを私1人が見届けた。

翌日曜の朝10時半発の高速バスは行きのより旧型車種でガタガタ揺れながらも妙に

がんばって走り、いつもより2〜30分も早く、2時には池袋着。


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