思いつくまま、気の向くまま
  文は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
センセーの鋭い目は問題点を瞬時にキャッチしました。



すぎたるは…


「すぎたるは およばざるがごとし」という言葉がある。辞書には「どんなに良いと言

われることでもやりすぎは害になる」とある。


老妻がみているテレビドラマをよこからみていたら、急に違和感をおぼえた。それは昭

和30年頃を舞台にした裕福な家庭の会食の場面であった。家族の集まりなのか祝い事

のあつまりかは忘れてしまった。

なにに違和感をおぼえたかというと、贅沢な料理をまえにして皆がそろって冷や飯を食

べている。冷や飯とさめたご飯のちがいは日本人ならおわかりだろう。このような晴れ

の場で冷や飯を食べるということは考えられない。


テレビがハイビジョンになってから画面が見違えるようにきれいになった。とくに風景

を映す紀行ものは、昔のテレビではとても見られないきれいな映像を見せてくれる。

昔、ハイビジョンテレビの試験放送がはじまったころ、「これいじょう画像がきれいに

なって、女優のしわやシミを見ることはない」と放送評論家が言ったことがある。これ

にはわけがあって、当時従来のテレビよりきれいな画像を作ろうと、疑似走査線かなに

かを使って、ふつうのテレビよりもきれいな画像を放送した。これはクリアビジョンと

よばれ美人大女優の出るドラマに使っていたと思う。当時のメーキャップではアップに

するとしわもシミもはっきりと映ったので、先の言葉になったというわけだ。

その後、ハイビジョンの本放送がはじまってどうなるかと思っていたら化粧品の方が進

歩した。しわもシミも隠してしまうファンデーションは顔がのっぺりとしてしまい、見

ていて気もちがわるい。


ここまで読んで「冷や飯」の意味がおわかりだろう。そう、映りすぎるのだ。

ハイビジョンの解像力は冷や飯と暖かいご飯のちがいをハッキリと写してくれる。舞台

とちがってリアルな背景で演じられるテレビドラマは隅からすみまでリアルであってほ

しい。

監督も小道具もいま自分たちがどのような技術をつかって仕事をしているかしっかりと

認識してもらいたい。技術ばかりが進んでも、それを使う人間が旧態依然では世の中ま

やかしものであふれてしまう。

いま、ハイビジョンの4倍の画素をもつ4Kテレビが実用化されようとしている。これ

を使う人間に進歩がないかぎり、4Kテレビは「すぎたるもの」になってしまう。


戻る