●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさんにも縁ある人のノンフィクション多少フィクションストーリの最終回。


シリーズ アメリカ帰りの松子さん

夢を持って再出発


松子さんが簡単な引っ越しが済んでから一か月が経った。マンションの2階の部屋から外

を眺めると街路樹の緑が目に染みる。ニューヨークのアパートはビル街の真っ只中にあっ

たのでとても新鮮だ。マンションを囲むように木や植え込みも整えられていて清潔感があ

り、まるで公園の中にマンションが建っているようであり、駅もスーパーも近く便利で、

花枝さんの言う通りだった。

寒さも和らぎ、松子さんの気持ちも落ち着いたが、文京区の住民になるための煩雑な手続

きはたくさんあるし、買わなければならない生活用品が山積みであった。松子さんは役所

の書類はもちろん取り扱い説明書の類まですべての書類に目を通す。

誤算だったのは家賃に、水道代やガス代が含まれていないことだった。ニューヨークでは、

電気代は各自負担だったが、ガス・水道代は家賃に含まれていたのでてっきりそのつもり

だった。光熱費一部込ではないこの部屋は家賃が高すぎる。(早まったかな)と少しだけ

後悔をした。

友達に部屋が決まったことを報告すると、決まって、

「まあ、山手線の内側に住むなんて…なんと贅沢な! しかも、そこはサラリーマン垂涎

の文教地区よ」

と云われる。暗に職をもたない老人の独り暮らしにはもったいない、と言っているようだ。

だが、松子さんはまた条件の少ないURで紹介してもらっていつでもまた引越せばよい、と

気楽に考えている。何よりも環境が抜群に良いのだから一生に一度はこんな贅沢があって

もいい、と思うことにしている。

下を眺めると、学生がぞろぞろ歩いている。

近くに小学校や高校があり、学生の町なのだ。

ふと、松子さんはひらめいた。(この学生を相手に英語を教えるのはどうだろう…或いは

地域の文化センターなどに入り込んで英語やアメリカ文化を教えるのはどうだろう…まだ

まだ私は社会参加できるはずよ、お金だって稼げるわ)

松子さんの夢は広がっていく。

今では弟夫婦とも何事もなかったように円滑に交流ができている。

松子さんは思う。あのとき、弟夫婦は病み上がりだったし、松子さんは不安で胸がいっぱ

いでイライラしていた。お互い気持ちが平常心ではなかったのだ。そして突き詰めて考え

ると“老いる”ということはだんだん自己中心に物事を考えるようになることだと悟った

のだった。              (了)


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