●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさんにも縁ある人のノンフィクションストーリのパート2。


シリーズ アメリカ帰りの松子さん

帰ってはみたけれど…


日本へ向かうフライトは快適だったが、またまた成田空港で空がビジー状態で1時間も

遅れての着陸となった。つまり午後4時半到着予定がニューヨークと成田で約3時間の

遅れとなって7時半になっていた。

成田の天気は晴れていたのだが、すでに陽はとっぷりと暮れ、すでに夜。

到着手続きを済ませると8時近かった。

松子さんのすべての誤算はここから始まったのだった。

もちろん断ってあるので出迎えもいない。いや、今まで独りで生きてきた松子さんには、

誰かに甘えようという気はまったくないし、好意だけで自分の為に手間暇かけて迎えに

こられては却って気を遣う質なので、それは当然なのだが、長旅の上、これから東京へ

の道のりを考えると松子さんはさすがにぐったり疲れた。

ニューヨークでは降りしきる雪の中、意気揚々と新しい生活に胸を躍らせてトランクを

ころがしていたのが嘘のように、今では引っ張る元気もなかった。急に老け込んだよう

に弱気になった自分がいる…同じような顔つきをした日本人に囲まれていて、自分だけ

が異質のような気がしてならない・・・

そのとき宅急便コーナーが目に入った。長い列ができていたが松子さんは迷わず並んだ。

宛先は横浜の弟ではなく麻布に住む友人A子さん宛にする。

A子さんとはアメリカで知り合った女性ジャーナリストで85歳と年上ながらもまだゴ

ルフ、旅行と飛び回る猛女である。

今回の松子さんの帰国に際し、「住むところは私にまかせなさい。必ず良いマンション

を探してあげるから。早く帰ってらっしゃい。お互い独り者同志、老後を仲良くして暮

らしましょうよ」と背中を押してくれた大切な友人であった。すべてをまかせ、頼りに

しているのだ。

荷物の軽くなった松子さんは成田エキスプレスに乗り、日本にきたときは必ず常宿にし

ている品川のビジネスホテルにひとまず落ち着いたのは10時近かった。

荷物のことでA子さんへ連絡しようと部屋の電話を使うがつながらない。慌ててフロン

トへ行くと、「外からきた電話はお繋ぎできますが、外部への電話はお客様のケータイ

をお使いください」とのこと。

(へえ〜日本は変わった…2年前は部屋の電話で外線も自由に使えたのに…ケータイが

必需品なのだとは…それに一泊12000円が一挙に14000円になっているとは…)

松子さんはニューヨークでもケータイなるものを持っていなかった。とりあえず、財布

を握りしめ、フロントで聞いたホテル前の電話ボックスに走った。A子さんには連絡が

ついたが、もう日本円がなかったので弟夫婦へ到着の知らせは明日にしようと思った。

そのときは、このことが弟夫婦の心証をひどく悪くしたとは気が付きもしなかった。そ

ういえばフロントマンが「お着きになる前に女性の声で2度ばかりお電話がありました」

と伝えられていたが、きっと弟の嫁さんである梅子さんが到着の遅いのを心配して電話

したのだろう、と思ったのだったが、殆ど寝ていない松子さんは倒れこむようにベッド

に入ると寝入ってしまった。  


戻る