思いつくまま、気の向くまま
  文は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
センセー、低能の国に住んでる気分のようです。



来年もこの人たちと


暮れの一日、近くの大型スーパーの駐輪場から自転車を出していたとき…

10mほどはなれたところを歩く、駐車場に向かう中年の夫婦ものが何かを落とした。声を

かけるには少し遠い。行先はわかっているので、ゆっくりと自転車を出し落としたもののそ

ばにいくとピンク色の財布が落ちていた。色からいって女物だとおもい車に荷物を積み込ん

でいるその細君に「これ、落したでしょ」と声をかけるとけげんな顔をする。

振り返った亭主が「あっ、わたしのです」というので一瞬変だなと思い「まちがいないです

か」と少し強くいうと「私のです。まちがいありません。ありがとうございました」「助か

りました、ありがとうございます」をなんどもくりかえす。その間細君はどうしていたかと

いうと、財布を落とした亭主をなじりとおしていて、一言の礼もない。

あきれた、を通り越してあっけにとられたが、たちまち我流の考えにはいった。


国というもの民衆の集合体である。日本と言う国はこのような人間でなりたっている。

また、その国民の意識を民度という。一般的にこの細君のように社会的構成力がよわい民衆

を民度が低いという。夫婦は二人。二人の半分は50%。多かれ少なかれ日本国民の50%

は民度が低いということになる。

それでわかった。

今回の衆院選の投票率とその結果について多くの社会学者や政治学者が警鐘を鳴らしている

が世間の話題にならない。その上わが意を得た安倍内閣は、国民生活そっちのけでやりたい

放題をはじめたというのに多くの国民が知らん顔をしているわけが。

たぶんこの知らん顔を国民の総意というのであろう。民主主義の解釈でいえば異論があろう

とも国民の総意に従わなければならない。

来年もこの人たちと過ごすのかと思うとつらいものがある。


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