思いつくまま、気の向くまま 文と写真は上一朝(しゃんかずとも)
シャンせんせいのガンリキエッセー。
センセー、ご自身のことも疑ったようです。
電飾
となりの大学にイルミネーションが点くとカレンダーも残すところあと一枚となる。
「もう今年もあとひと月か、はやいねー」とは歳を重ねた人間の発するお約束言葉。
年寄りが時が経つのをはやく感じるのは、いろいろなことを経験してきたので好奇心
がなくなるためで、若者は目の前に広がる未知への好奇心のために時を長く感じる、
という説がある。
若者が未来に希望をもてばその時がまちどおしくて一日が長く感じられても不思議は
ない。一方年寄りは好奇心がなくなればボンヤリと一日を過ごす。ボヤーッとしてい
れば時が経つのをはやく感じるのもまちがいない。
このボンヤリは年寄りの特権ではなくなっていることに警鐘をならす記事を読んだ。
『昭和40年ころまでは日本はアメリカにたいして面従腹背をつらぬいてきたが、い
まは面従復従になってしまった。政治家はなにごともアメリカのいいいなりになって
いれば平穏に事が進むと思って、思考停止になっている』と。記事は国民とて例外で
はないと続く。たしかにそうだ。巷にはアメリカ風カタカナ表記が日本語としていき
かい、それどころか公用語にまであやしげなアメリカ言葉がつかわれている。イルミ
ネーションだってりっぱに電飾という日本語がある。それをカッコワルイからイルミ
ネーションと呼ぶ。そのカッコワルイという発想はどこからくるのだろう。これも面
従復従、思考停止の結果かもしれない。
思考停止とはすなわちボンヤリである。ボンヤリは年寄りの特権ではなくなって一億
総ボンヤリの時代になってしまったようだ。
イルミネーションをボンヤリとながめながらココ通の記事を考える自分は、ボンヤリ
派か好奇心派かどちらだろうかと考えてしまう。