思いつくまま、気の向くまま
  文と写真は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
センセー、なんだか「思いきったこと」やってみたくなったようです。



昇殿参拝




「今年の初詣は昇殿参拝にしよう」と老妻に言うと「なぜ、お金がかかるのに…」とびっ

くりしている。

今年の正月はなぜか気分がおおらかであった。なぜか、と書いたが理由はある。

しかし、それは内緒。


境内は、天気もよく暖かいので参拝者の行列でいっぱいであった。

その行列をわき目にみて受付へ進む時の気持ちのよさ。人間というものは如何なるときで

も邪心というものはとれないものだ。

社殿入り口に行き、参拝申込書に願い事と住所氏名を記入する。ひととおり記入して受付

にもっていくと神様にもいろいろな事情があることを知った。

まず、願い事は二つまで。また個人というのはあくまでも個人であって夫婦といえども個

人が二人ということになる。なるほど神様は進んでいる。ここでは夫婦別姓もなにもない。

というわけで二人分の初穂料を納めると、紙で出来た浄衣という裃のようなものをわたさ

れるのでそれを着けて拝殿に向かう。

このとき先ほどの夫婦といえども個人が二人、の意味がわかった。浄衣をつけた人とそう

でない人は座るところがちがう。たとえば夫婦の片方しか申し込まないと並んで座ること

はできない。もう一人は下座で陪席することになる。簡単にいうと一人分しか願い事は聞

いていただけない。さすが神様、夫婦は一心同体なんていうことは嘘っぱち、「各々個人

の責任で生きよ」と、わかりやすく教えてくれる。


一回に二十人位というミニ団体の参拝であったが、自分の名前と願い事を読み上げる祝詞

奏上、福鈴、玉串拝礼と神事が終わり、お神酒をいただき、名前と願い事が書かれたお札

を受け取って外に出ると、混雑した行列のなかからお賽銭を投げて参拝するのとちがった

清らかさが残った。


あくる日、姪にそのことを話すと「おじさん後ろ振り向いた」と聞くので「なんで」と聞

くと、「だって大勢の人が自分を拝んでいるのを見て気持ちがいいでしょ」と、からかう

ように笑っていた。

慣れないことをすると、俗っぽい落ちがつくものである。


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