思いつくまま、気の向くまま 文と写真は上一朝(しゃんかずとも)
シャンせんせいのガンリキエッセー。
センセー、断固とした口調に興味持ったようです。
薄味です
なにを買うという目的もなくスーパーの食品売り場を歩いていた。
スーパーといっても街中のスーパーではなく、あちこちの駅ビルにあるデパ地下まがい
の店のこと。
干物専門店のケースのなかに「焼きいか」の札のついたパックをみつけた。よく見ると
肉厚の美味そうな焼きいかが入っている。この厚さからみると最近はやりのダイオウイ
カにちがいないと。そんなわけはない、あれは食べるとまずいそうだ。
たれでつけ焼きにしたようなそれは酒のつまみにちょうどいい。しかし、この手のもの
は、うすく甘味がついているものがある。甘いのはいやなので店員にきいてみた。
「これ、醤油味?」
「薄味です」二十歳そこそこの女店員はきっぱりと答えた。
「いや、そうじゃなくて醤油で味をつけたの?」
「薄味です」とおなじことを言う。
「えーと、醤油で味をつけたの、それとも塩味?」
「薄味です」この爺さん日本語がわからないのかな、というふうに答えた。
このやりとりがおもしろくて買うことにした。甘かったら老妻におしつければいい。
この娘は店からどういう教育を受けているのだろう。味付けにもいろいろあることなん
かフッ飛ばして「○○さんこの焼きいかは薄味だからね」の一言だけなのだろうか。そ
れとも焼きいかというものは居酒屋ででてくるたっぷりとした醤油味があたりまえと思
っているのかもしれない。こういう手合いを古い言葉でいえば単細胞というのだ。
単細胞というと思い当たることは多々ある。
「憲法改正は戦争につながらないか?」
「いえ、積極的平和主義ですから戦争にはなりません」
「従軍慰安婦問題についてどう考えるか?」
「あれはどこの国にもあったことです」
だれとだれのことかわかりますよね。
どうしてものごとを多面的に考える人がいなくなってしまったのだろう。
とくにこの国を動かす立場にいる人に限って言葉に深みがなくこの種の発言が多い。
と、いうことは彼らの存在を容認している国民も「薄味」のおねーちゃんとおなじ単細
胞ということかな。