思いつくまま、気の向くまま
  文と写真は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
自転車で走り回るへんなオジさんシャンせんせい、考えてることは正論です。



暑さ狂い・日向ぼっこもムダじゃない




カメラの修理や改造というものは、見目麗しく仕上がったからいいというものではない。

ピントとかメカニカルな問題は簡単にチェックできるが、なんといってもむずかしいのが

光線漏れである。

これは原発の汚染水とおなじでどこから漏れているのかを見つけるのが難しい。では、ど

うやって光線漏れを探すかというとカメラにフィルムを装填してあらゆる角度から強い光

をあてる。それにはいまどきの強い太陽光線はうってつけなのだが、長時間カメラの向き

を変えながら炎天下に立ちつづけるのはつらい。そこで思いついたのがカメラを自転車の

カゴにのせて走り回ることである。これならボサッと炎天下に立っているよりは楽だ。こ

の思いつきを老妻に話して「まあご苦労さんなことで」と冷笑を背にうけながら出かけた。

カメラの向きを変えながら走ること小一時間。終わってフィルムを現像してみると光線漏

れは皆無、己の工作精度の良さにほくそえんだ。つぎは本格的なテスト撮影である。


このカメラが活躍した時代1933年は、日本が国際連盟を脱退した年。そろそろ日本が

窮屈になりはじめたころでもある。窮屈というと国民が国家から一方的におしつけられた

ように言われているがそうとも言えない。前にも書いたが当時を生きた人に聞くとけっこ

う国民が自分から窮屈にしていったふしもある。

先日、宮崎駿の映画「風立ちぬ」が、喫煙シーンが頻繁にでてくると抗議をうけたそうだ。

禁煙ヒステリーもどこまでゆけば気がすむのか。このような抗議をする人たちは物語とい

うものを理解できないのだろう。また、松江市では、漫画「はだしのゲン」の残酷な場面

が子供たちに誤った歴史観をうえつけるとの抗議に服して図書館での自由閲覧をできない

ようにした。この残酷な場面とはアジアの占領地において現地人を斬首したり婦女暴行を

する場面をさすらしいが、これがどのようにして「間違った歴史観をうえつける」ことに

なるのかわからない。

老生小学生のとき、学校の図書館にあるグラフ誌でアメリカ兵かオーストラリア兵捕虜が

南方の島で日本兵に首を切られる写真を見たことをおぼえている。キャプションにある

「斬首刑されるニュートン中佐」という言葉をいまだにおぼえているからかなり衝撃的で

あったことは事実だ。が、それによって「間違った歴史観をうえつけ」られた、とは思っ

ていない。ただ、戦争というものはカッコいいばかりではなく残酷なものである、と感じ

ただけだ。

「風立ちぬ」の喫煙シーンも「はだしのゲン」の残酷なシーンも実際にあったことである。

それをむりやりなかったことにしてなんの得があるのか。

子供というものは柔軟な感性をもっている。これらを見て誤る子もいれば冷静にうけとめ

る子もいる。誤った子供にはなぜ間違っているかをきちんと教えればいいことである。お

かしな大人たちが偏向した思想で導くことではないだろう。

この二つの問題は国家権力が介入したものではない。かってに国民が自分たちの手で世の

中を窮屈にしていくのだ。

このカメラにとっては二度目の窮屈な時代のはじまりである。口がきけるものなら感想を

聞いてみたい。


自転車の前カゴで、ゆれながら日向ぼっこをするカメラを見ていたらこんなことを考えつ

いた。日向ぼっこもムダじゃない


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