7/8のしゅちょう             文は田島薫

日常を楽しむ方法について

またもや、ぼーっと新聞開いてたらシリーズ、読書欄に、放送作家の鈴木おさむと秋元康

の生活哲学的内容の本の紹介があって、おさむさん、その一番大事なことは好奇心だ、っ

て言ってて、人からどう思われるか、かっこいいことかどうか、なんてことは考えず、自

分が心から楽しいと思えることを追求することがすべてだ、って、そうしてやってると、

道が開けてチャンスも生まれる、って言うんだけど、なるほど、と思ったんでご紹介。

彼は学生の時に居酒屋のバイトしたんだけど、そこでも、どうしたら客が喜んでくれるか

を、色々考えるのが楽しくて、本当にその実績を上げ、その頃はそれがまるで天職のよう

だった、って、その後、ラジオに自分でおもしろいと思った話を作って送ったところ、だ

れかの目に止まり、放送作家の道が開けたんだって。

で、数年調子よく売れてたところ、身辺に深刻な不幸が起り、落ち込んで挫折感の中にあ

った時、上司が、その不幸話で今度の会議でみんなを笑わせてみろ、って言われて、ふっ

と、気づいたんだって、おもしろくするのは自分だ、って。

どんな状況でもそれを楽しくすることは可能で、それをする自由と力をわれわれは持って

るんだ、って。

ま、彼の場合は、お笑い、が志向するテーマだったようなんだけど、別にそれがいつも、

笑えることばかりが、楽しいこと、って考える必要はないんだろう。

先日、家人の母親の葬儀があり、火葬場へ向かう霊きゅう車に同乗した家人の兄貴が、そ

の運転の丁寧さに感心して、思わず運転手にそう言うと、運転手は、自分は41で霊きゅう

車運転手に転職したんだけど、その理由は、早い時期に自分の母親を亡くした時、その亡

骸を運ぶ運転がまるで物を運ぶように乱暴だったのに腹が立った、んだって、自分は心を

込めて大事にそれを運ぶ運転手になりたい、って心に誓った、んだって。

例えば、霊きゅう車の運転の職を得たものが、自分はこんな死体を運ぶなんてことしたく

なかったけど、他の運転手の職がなかったから仕方ないんだ、あー、縁起でもない、やだ

やだ、さっさとやめて、早く、もっときれいな花とか、食品とか、せめてタクシーの運転

とかに転職したいもんだ、って考えながらやってる人がいたとしたら、その彼との仕事に

対する愛情とやりがいは雲泥の差、ってことになるだろう。

どんな状況でも、それを楽しくするのも辛くするのも自分自身なのだ、きっと。




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