思いつくまま、気の向くまま 文と写真は上一朝(しゃんかずとも)
シャンせんせいのガンリキエッセー。
シャンせんせい、本当の価値を知ってるだけに、世相を嘆いてるようです。
もったいない
映像といえばデジタルという時代になってしまった。
というより、デジタル以外に映像を作る方法があるの?という時代になってしまったと
言ったほうが正しいかもしれない。
銀座にある有名な中古カメラ店が売り場を縮小した。
フィルムを使うカメラが売れなくなってきたからである。
フィルムカメラは、古道具から骨董品の世界にはいったのだ。
古道具と骨董品のちがいは、前者は型は古いが機能が十分で安いものであるのに対して、
骨董品は機能よりもそのものが持つ付加価値で評価される。
茶道の茶碗を例にとれば、茶を飲むだけなら100円ショップで売っている茶碗で十分で
あるが、その世界では茶碗にまつわるもろもろの付加価値で好事家を呼び寄せる。
フィルムカメラもとうとうその域に入ってしまった。
いくらフィルムが作り出す映像の美しさを説いても好事家以外興味を示さない。フィル
ム時代を知っている人でもデジタルのほうが簡単だよ、とそっけない。
そうなるとフィルムを使うカメラの価値がなくなる。価値がなくなると安くなる。
価値の無いものには値がつかないというのは経済の鉄則であるがどこかさびしいと同時
にもったいないという気持ちがおこってくる。
特に各種交換レンズはフィルムカメラ用であるというだけで優秀な性能をもちながら二
束三文で売られるかゴミとなる運命にある。
このマクロレンズは近所にあるリサイクルショップで見つけた。レンズ専門メーカーの
製品であるのでブランド好きな日本人には人気がなかったが、安価なわりには性能がよ
かった。この店は大手のチェーン店であり、評価は時代のニーズに反映しているから特
に安いわけではない。3〜4年前の中古値段の十分の一、1500円だった。
これを時代の値段と言われればそうかもしれないが、何とももったいない。