思いつくまま、気の向くまま
  文と写真は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
シャンせんせい、なにはともあれホンマモンに圧倒されたようです。



露国赤毛布

11.エルミタージュ美術館






サンクトペテルブルグ最後の日である。

今日の予定は、終日エルミタージュ美術館を見学して夜の飛行機でモスクワに向かう。

世界有数のエルミタージュ美術館についてはその成り立ちを書く必要がないほど有名だ。

歴代ロシア皇帝によって集められた美術品の数々は好きな人にとってはかけがえのないものだ

ろう。


たくさんの美術品が見られると目をらんらんと輝かせている人たちに混ざって館内に入ると、

さすがオリジナルの建物は復元品のエカテリーナ宮殿とくらべると本物のすごさでせまってく

る。豪華な部屋の手の込んだ装飾や彫刻を見ていると、にわか貴族になった気がする。

絵画の部屋に入るとある種の違和感におそわれた。絢爛たる装飾の部屋のなかにそれに負けな

い絵が並んでいる。西洋画いや絵画というものはこのようにべたべたと並べて鑑賞するものだ

ろうか。たとえそのひとつひとつが世界的名画であっても個性が死んでしまう。絵というもの

はその雰囲気に合った部屋で2〜3点を見てこそ良さがわかるというものではないか。

なお悪いことに不肖シャンは、東京のモナリザ展に半日も並んで見る人ほどの審美眼をもちあ

わせていない。ここに並べられている絵画が本物なのか複製なのかもわからない。

ラファエルでござい、ルーベンスでございといわれても、はあ、そうですかとしかいいようが

ない。まさに豚に真珠、シャンに泰西名画である。

だがわるいことばかりではない。大学の時、採光法の例としてたたきこまれたレンブラントの

オリジナルをゆっくりと見られたことは収穫であった。もうひとつダビンチの「リッタの聖母」

をゆっくりと穴の開くほど見られたこともよかった。特別その絵の出来がどうこうということ

ではなく独特の技法に興味がわいた。願わくばこれが本物であることを。

ダビンチの絵とにらめっこをしているとタバコ仲間のHさんがよってきて「こんなでたらめな

明かりで絵を見ろなんて…」とささやいた。いわれてみれば自然光、蛍光灯、白熱灯とミック

ス光線で照らされた絵の本当の色なんてわかるわけがない。たしかに日本での舶来展覧会の仰

々しさもいただけないがあまり無頓着もどうかと思う。こういう見識をもつHさんはなにもの

だろう。


エルミタージュ美術館には西洋美術以外にもエジプトやインド中国のコレクションもあるがそ

れほどの点数はない。そのなかで空港の搭乗検査よりも厳重な検査を受けて入った特別室のス

コータイの金工芸品はすごい。赤ん坊のにぎりこぶしほどの金塊に、「これを見つけた農奴か

ら皇帝が買い上げた」と説明されたが金塊の大きさよりも、「いったいいくらで買ってくれた

のだろう、取り上げられなくてよかったな」なんて美術とはほどとおいことに頭がいった。中

央アジアの品々もたいした数がない。部屋を出ると、われらが先生がよってきて「ここのコレ

クションはたいしたことがないですね」と言った。ヨーロッパ中の美術館や博物館を見て歩い

た人は言うことがちがう。


食べきれないほどのご馳走を目の前にならべられたようなエルミタージュ美術館であった。

暮れのアメ横を歩き回ったあとのような疲労感が去るとあることに気がついた。そうだ、見た

いものだけ見ればよかったのだ。エルミタージュは美術館なのだから。

デパートのバーゲン売り場のようになにか良いものがあるのではないか、と神経をはりつめて

行くところではない。こう合点がいくとまた行きたくなってしまった。


がひとつ大収穫があった。なにも飾られていない広い部屋でコンサートがひらかれていた。欧

米の美術館や博物館ではあたりまえのことだとか。男性五人の合唱であったが音がすごい。頭

の高さも足元もおなじ音が響いてくる。部屋全体が鳴っているという感じだ。だからといって

風呂場で聞くようなモヤッとした音ではない。各パートの声はきちんと聞こえてくる。帰国し

てからオーディオマニアの弟にあんな音がするスピーカーはないかね。と聞くと「部屋からお

造りなさい」といわれてしまった。音楽に対するヨーロッパの伝統にはかなわない。


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