思いつくまま、気の向くまま
  文と写真は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
シャンせんせい、ちょっとした冒険したようです。



露国赤毛布

10.脱走








血の上の救世主教会見物を済ませてもまだ一時間ほどの自由時間がある。これもクレムリン

広場に入れなかったおかげだ。

もしかすると、という期待のもとに出発前にサンクトペテルブルグ最大の繁華街ネフスキー

大通りを中心に1キロ四方の地図は頭に入っている。さっそく大師さまと歩き出した。

するとタバコ仲間のHさんが追ってきて「ご一緒してもいいですか」という。大師さまの足

が悪いので休み休み歩くのでよかったら、と答えると「わたしはそういう歩き方がすきです」

と言う。彼は世の中のつき合い方をよく知っている。

しばらく歩くと教会の前に巨大なリムジンが停まっていた。結婚式である。いま、ロシアで

は、結婚式でこういう大きなリムジンを使うのが流行っているようだ。モスクワで見た黄金

のリムジンには皆で歓声をあげた。ぜひ花嫁さんを見ようとしばらく待ってみたが出てこな

い。時間がなくなるので歩き出す。道路の緑地帯にはベンチがあり、大師さまが休む間にタ

バコタイム。サンクトペテルブルグは三人にとってそれぞれにやさしい街である。


街歩きといってもどの店も分厚いドアを開けて店内へ入らなければならず見物は外観のみに

なってしまうので自然建物や町の雰囲気を楽しむ散歩になる。18〜19世紀前半に造られ

た重厚な建物を観て歩くだけでも楽しいものだ。

歩き疲れたので休むところをさがしているとSUBWAYがあった。日本にもあるコーヒー

ショップのチェーン店。飲み物の注文方法も、味もおなじだった。店内の雰囲気も東京とか

わらない。ひと休みしてから集合場所に向かう途中、一階すべてがアーケードになっている

古いビルをみつけた。ここを抜けると集合場所に近いはず、と大師さまがいうので入ってみ

ると文具からファツションまで30店舗くらい並んでいてちょっと丸ビル風。

ロシアではじめて日本式ショッピングができた。


今日はこのあとエルミタージュ劇場でバレエ見物をする人とホテルに帰る人が別れる。

そのために早めの夕食に向かうバスの中でいつになく険しい表情でツアコン女史がマイクを

にぎった。「バレエに行かない方たちのなかに地下鉄で帰りたいという方が何人かいますが

絶対にやめていただきたい」おや、脱走を企てているのは自分たちだけではなかったか。

「再三ご注意したようにここはスリ等が多く、とくに地下鉄のような人ごみは危険です」。

となりで聞いている土地っ子ガイドのアンナさんはどんな気持ちで聞いているのだろう。

脅しはまだつづく。「外務省からも“十分注意”の通達がでております。絶対にやめていた

だきたい。どうしても地下鉄に乗るという方は、すべて自己責任のうえの行動である、との

念書を書いてください」。これを聞いてあちこちからため息がもれたので、だれとだれが脱

走を企てているのかわかった。

夕食もおわり、外に出ようとすると大師さまが寄ってきて「念書を書いたからそっと抜け出

して」とささやく。こういうことには大師さまは手早い。ホテルに向かうバスのわきをすり

ぬけると誰もついてこない。皆さん脅しに屈したのだ。


まだ明るいので街をぶらついてから帰ることにして、周囲1キロもある三角形の大アーケー

ドという商店街に向かった。1785年に造られた重厚な建物はみごとだったが店は高級品の店

ばかりで見て歩いてもおもしろくない。2階のバルコニーからの眺めも素晴らしいと書いてあ

ったが高層ビルの建ちならぶ東京になれた目にはものたりない。


この建物の地下が地下鉄の駅になっているはずだ。脅かされたてまえドジはふみたくない。

アーケードのかたすみで手持無沙汰にしていたガードマン氏に聞くことにした。ところが彼

は英語が通じない。しかたなく地下鉄の路線図を示しながら身振り手振りでこの下の駅でよ

いかと聞くと帰ってきた言葉は「ダー」つまりイエスである。これですっかり気がおおきく

なりもう少し街をぶらつくことにした。

ぶらつくと言ってもさきに書いたように店が開放的でない。できることは土地っ子にまざっ

て歩くことだ。風景画を売っている露店をひやかし、颯爽とあるく若い女の子に見惚れ…。

自分の足で歩いたところは、帰国して二か月になるが昨日のことのように覚えている。これ

が旅の醍醐味だ。ようやく暮れてきた街が明かりに浮かぶのを見ていると異国にきたな〜と

いう実感がわいてくる。

すこし疲れてきたのでカフェで休むことにした。SUBWAYとちがってレストランといっ

てもよいくらい豪華なつくりだ。メニューには、コーヒー、トルココーヒー、アイリッシュ

コーヒー、アメリカーナとめずらしいコーヒーの名が英文でつづく。安全をみてコーヒーを

たのむと出てきたのは小さなカップに入った濃厚なエスプレッソであった。なめるようにし

て味わう大さじ一杯ほどのコーヒーはおいしかったが疲れを休めるためにはいかにも量が少

ない。こういうメニューの店ではアメリカンを頼むのがよい。むかし青山のコーヒー店で同

じ失敗をしたのを思い出した。

時計は八時を指している。あまり遅くなるのもまずいので帰ることにした。地下鉄の入り口

はすぐにわかった。薄暗く長い地下道を、帰宅を急ぐ人々にまざって行きついた先は広い改

札広場だった。ロシアの地下鉄は全線均一料金で切符代わりにコインを買う。そこまでは簡

単だったがその先がこまった。ロシアでは同じ駅でも路線が違うと駅名もちがう。

まちがえるととんでもない所へ行ってしまう。ロシアの駅員は不親切だとどのガイド本にも

書いてある。おそるおそる改札口にいた駅員に路線図を示しながら聞くと、不親切なんてと

んでもない。二人も寄ってきてていねいに指をさしてホームの場所を教えてくれた。

行きついたホームの番号をみるとまちがいなく乗るべき路線だ。ここのホームから線路は見

えない。全面壁になっていて車両のドアの位置にホーム側のドアがある。ドアが開けば電車

が入ってきたことがわかる。実に合理的にできている。

混むと脅かされた車内は山手線の夜八時頃の混み具合で、人と人が触れ合うことはない。

仕事帰りの人々に囲まれていると自分たちも市民になったような気がする。われわれの旅の

楽しみはどこの国へ行ってもそこの生活にとけこむことにある。

キリル文字は全くわからないので駅の数をかぞえることにしたが、途中から社内アナウンス

の〇〇スカヤと〇〇スキーの違いが聞き取れたので降りる駅までスキーがないので安心して

乗ることができた。このことを大師さまに伝えようと振り返ったらちゃっかりと座っていた。

あとで聞くと若者が席をゆずってくれたそうだ。これいらい大師さまはロシア贔屓になって

しまった。きっと北方領土は返ってこないだろう。

ロシアの地下鉄は内装がみごとだと聞かされていたが乗った駅は東京と変わらぬ無味乾燥の

駅だった。降りた駅もエスカレータの明かりが目を引く程度だ。

地上に出ると見慣れた駅前広場。隣はホテルである。すぐわきのスーパーで脱走成功の祝杯

を挙げるためにロシアビールを買いこんだあと、残雪を踏みしめてホテルに向かった。


戻る