●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさんの新シリーズ6回め、あえて衣服の側面を考察。



シリーズ ファッション考

ファッションの役割


先日の新聞に黒柳徹子さんがユニセフの親善大使を始めて30年を迎えたことが報じられ

ていた。

写真も載っていて、徹子さんはピンタックのある詰襟のグリーンのブラウスに黒いパン

ツ姿で南スーダンの母子に話しかけている。

それで思い出した。

だいぶ前の話なのだけど、やはりユニセフ親善大使でアフリカへ訪問した記事で、徹子

さんが華やかなフリフリの洋服を着て難民と話している写真が載ったところ、もっと地

元の雰囲気に合わせて服装を質素にするべきだと異論がでたことがあった。

すると徹子さんは、服装は相手への敬意を表したもの、むしろ普段着では失礼にあたる

と考えてのこと、とコメントした。

私はなるほど、と思った。

服装は身にまとって守るだけの機能ではない。自己表現でもあれば、相手への思いやり

でもあるはず。式服を考えてみればわかるように相手を重く考えれば考えるほど服装な

んかどうでもいい、というわけにはいかない。

私たちは初対面の相手には、まず、顔を見て、次に全体の服装を見るのが一般的ではな

いだろうか。

それから言葉を交わして、言葉遣いやら態度やら諸々の人格の要素が出てきて初めて相

手への確固たる印象が決まっていく。

つまり第一印象は見かけから始まるのだ。

服装は個性として地味、派手、端正、無頓着、貧富、センス、その他諸々の情報を発信

しているから重要な手がかりだ。

よく “ボロは着てても心は錦”とか、“馬子にも衣装、髪形”などと古くから言われて

いるが、どちらも正しい。

ただいえることは、相手への気配りも自分の個性の表現も自由にできる服装の発信力は

やっぱり無視できないということ。

私はむしろ積極的に楽しみとして利用したい。

楽しみは多いほうがいい。


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