●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさんの新シリーズ3回め、がんばったあの頃。



シリーズ ファッション考

洋裁修業


あえて分類するならば両親はどちらかかというと食道楽というよりは着道楽だった方かも

しれない。父は結構着るものにこだわりがあってうるさかったし、母は安っぽいけれど着

物を多く持っていた。

当時、今ほど物はない時代だった。私は三人姉妹で末っ子なので、当然お下がりを着せら

れた。ビロードは剥げていたり、セーターは編み直しだったり、

丈は長いのに袖は短かったり。

新しい服へのあこがれはその頃芽生えたのだろう。

母は縫い物などの手仕事が大好きでミシンは常に我が家にあり、まだ浴衣の寝巻きが主流

だった頃に、修学旅行へ行く私のために新しくパジャマを縫ってくれたのが嬉しい思い出

として残っている。

長じて、三人姉妹は勤めたり、家業を手伝ったりしていたが、ある日母はつくづく言った

ものだ。

「娘が三人もいるのに、ミシンを使うものは誰もいないのかねえ」

それを聞いて私は手を挙げた。

「わたしがやる!」

子供の頃のお下がり人生をここで挽回せずになるものか、新しい服を作って作って作りま

くってやる! そんな気持ちだったのかもしれない。

それからというもの、会社が終わると夜間の洋裁学校へ通う身となった。

師範科を卒業し、デザイン画で有名な長沢節デザイン学校へも通う凝りようだったが、父

親譲りの不器用が災いし、仕立ては必ずしもきれいとはいかず、他人様のものを作るまで

には至らなかった。

時は移り、今や大量生産、大量販売。なにも手間ひまかけなくても仕上がったものが安く

買える。

せっかく苦労して磨いた私の洋裁技術は今となってはせいぜいリフォームを楽しむ程度だ

けど、デザイナーを夢見た昔を思い出すと胸がキュンとなるのだ。


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