●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさん宗教の長所と短所を感じました。



シリーズ 信仰心

教会の人々

教会の英語教室に入会し、クリスチャンとのお付き合いがきっかけで聖書を読もうと思った。

旧約、新約とあの膨大な量の内容を読み下すのはなかなかの難事業であり、御伽噺のような

現実感がないものもあるし、なかなかはかどらない。

人間は神の姿を似せて造られた、というならば進化論はどうなるの? イエスが十字架に架

けられ、復活したのはホント? クリスチャンになると永遠の命が与えられる、というけど、

永遠の命ってどんな状態? などなど疑問はとめどもなく出てくる。

そんなとき教会でノンクリスチャンのためのコースが設けられ、誘われ出席した。こうした

草の根の活動をするのが、布教をやめ葬式仏教と化した日本のお寺と違うところである。

平日の昼間なので主婦が大半だが、退職したサラリーマン、タクシードライバー、大学生な

どが集まり、イエスとは? 祈りとは? 聖書を読むには? 神の導きとは? などわかり

やすく語ったビデオを見てグループに分かれ感想を語り合うのであった。

“証し“という時間があってなぜ自分が入信したかを語る時間があり、過去の壮絶な体験を

聞くと、この人は今こんなに明かるく強くいられるのは何故だろう、と信仰の力の凄さに驚

いた。私はちょうど腰痛に悩まされ長年の仕事を辞めたばかりで、体の不安や気持ちの虚脱

感で一杯だったので、体験談や聖書の教えは心に沁みた。

思えば、私は体が弱いことを隠れ蓑にして、何事も全力を尽くす努力を怠っていたし、何事

もすぐあきらめ、楽な方へと楽な方へと傾く自分を責めていた。そんなとき、神にすべてを

委ねる、という教えはとても心を軽くしてくれた。私は聖書をまるで自分の都合の良い人生

訓のように読んでいたのだ。

そしてコースが終わろうとした頃だった。

人は皆罪びとなり、という話から、生まれてすぐ洗礼を受けたという筋金入りのクリスチャ

ンが「キリスト教を信じないものこそが罪びとだ」と発言した。なにか脅されたような気が

した。そしてクリスチャンは特権階級なのだというニュアンスが感じられ嫌な感じがした。

私にはまだ入信の覚悟はできていない。今まで気持ちの良い素晴らしい人々に囲まれて楽し

くコースに参加していただけだったのだ。それ以来、キリスト教の厳しさと狭量さと傲慢さ

を感じて、身が引いてしまったのだった。


戻る