12/9の日記          文は田島薫



温泉貧乏旅行


先週の火曜から、家人の父親の入ってる老人ホームの慰問をかねて長野へ出かけた。

月1〜3回ぐらい家人の兄貴がそれに出かけてて、たまには交代でこちらも出かけよ

う、ってことにしてるんだけど、今回は前回行ってから2ヶ月半ぶりだし、あんまり

兄貴の役には立ってない。それでも、せっかく年に何度も行ってるわけで、善光寺ば

かり観に行ってもしょうがないか〜?じゃ、周辺の小旅行でもやってみっか、ってこ

とになった。

兄貴が借りたままにしてる両親のいたアパートに一泊し、朝、ブランチを食ってから、

3つとなりの駅まで行き、老人ホームまで25分歩き、機関車の運転手だった父親の断

片的な思い出話などを聞いた。30分ほどでもう寝たい、って言うんで、時計を見ると

急げば予定の40分前の電車に乗れそうなんで、駅まで2人でジョギング。

余裕で着いた駅から電車に乗り1時間ほどで湯田中駅に到着。まだ3時だった。

平日の温泉街は静かだった。構内の観光案内所にも人がいなくて別の場所の案内図通

りに行くと、商工会ビルに観光案内の看板がついていたんで、入口に入り、右手の1

間半ほどの通路の先のドア開けると若い女性事務員がひとりいたんで、こんにちは、

ふらっと来たんですが、どっか安く泊れる宿はありますか?って聞くと、案内所はこ

こじゃなくて入口入ってすぐのドアです、って。で、そっちのドア開けると、こっち

には若い男の事務員がひとりいたんで、同じセリフを言った。いくらぐらいでですか、

って聞かれたんで、5千円ぐらいかな、って言ってみると、素泊まりで?って聞くん

で、食事つきで、って言ってみようかとも思ったんだけど、一応温泉地の料金の相場

は調べてあるんで、卒倒されたり、困って飯場の相部屋みたいの紹介されたりするの

も面倒なんで、当たり前じゃないか、って表情で、はい、と応えた。

紹介された宿は宿街のいちばん奥にあり、松など植わった情緒ある言葉通りの古い旅

館で、年輩の小柄で愛想のいい女将が出てきて10帖ほどの見晴らしいい古い角部屋へ

案内してくれた。

とりあえず、風呂場へ、6人ぐらい入れそうな湯舟に源泉掛け流し、他に客がいなそ

うなんで、家族貸しきり状態。たしかに古い風呂場でお湯と水の蛇口が1セットだけ、

高い天井だけど、大きい窓ガラスの上のランマ(?)の片方は外と通じてた。

それから外へでかけるついでに、借りられるというかぎを借りてそばの地区住民のた

めの公衆浴場にも入ってから、あまり泊まり客のいなそうな古い宿屋街をのんびり歩

きながら駅近くまで行き食事の店を物色、広い駐車場のはでな玄関の店より裏道の落

ち着いた小さな店構えの方の店がいいね、ってことで意見一致。そこへ入り、ビール

とこのところのテーマのカツ丼を頼み、家人がトイレで奥へ行き大笑いしながら戻っ

て来た。さっきキャンセルした店と同じ店で、2つの道路にまたがった店の2つの入

り口をわれわれは別の店だと思って見てたのだった。

翌朝はふだんと同じに、体操してバナナとヨ−グルを食ってから宿を出て、一茶の散

歩道って、けっこうな山道を2〜30分歩き、でかい観音像のある寺の陽のあたるベン

チで、前日りんご畑で捨ててあったのを拾った小さいりんご(これが驚くほど旨かっ

た)を1コづつ食い、また見晴らしのいい山腹の道を20分ばかり歩き、となりの渋温

泉へ、そっから、さらに山道を3〜40分歩き、地獄谷温泉で温泉入ってる猿を観てか

らまた歩いて戻り、愛想のいい夫婦の古そうな店でそばを食ってまた湯田中駅へ。




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