思いつくまま、気の向くまま
  文と写真は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
センセー、ぐちばかりの年越しもなんだし、って必死にいいもの探したようです。



返ってきた一円玉




国家的標語が造られたときはろくな年ではない。

「撃ちてしやまん」「ほしがりません勝までは」「鬼畜米英」これは古すぎるか。

東日本大震災の年の「絆」。今年の「お・も・て・な・し」。

国をあげての標語というものは、おおむね裏に胡散臭いものを秘めている。

「絆」については、この標語が発表されたときに直感的にその胡散臭さを感じた。その言

葉の意味するところは、国家の失敗を国民の公徳心にすりかえることだ。

そして今年の「お・も・て・な・し」。

国内が混乱のきわみにあるというのに、なぜ無理をしてまで外国をもてなす必要があるの

か疑問に感じる。

三年前の「絆」もいまとなっては、意気込みもどこえやら。今年の「お・も・て・な・し」

も早々と音頭取りの大将が、とんだ「お・も・て・な・し」を受けて失脚してしまった。

このように無理に造られた標語というものは簡単には根付かない。


テレビの対談。ドナルドキーンが高見順の『敗戦日記』を読んで日本人があの戦時下の配

給に整然と並んでいたことを知って感激した。そのうえ東日本大震災のとき救援物資を整

然と並んで受け取るすがたをみて、日本人の特別な公徳心に感心したと話すと、対談相手

の瀬戸内寂聴が「それはちがいます。日本人は意気地がないから人をかきわけてでもほし

いものを取りにいけないだけです」と答えるとキーン先生あっけにとられた顔をしていた。

老生、寂聴バーさんに賛成である。日本人は諸外国の人間とくらべればたしかに公徳心の

違いがあるがそればかりではない。やはり日本は根本的に裕福なのだと思う。一回の配給

をのがしてもそう間を開けずに次の配給がある。一度チャンスを逃したら二度と食べ物に

ありつけない国とはちがう。もしこれが現金の配給、しかも早い者勝ちであったらあれほ

ど整然とした光景がみられたであろうか。


お金の話がでてきたところで、ようやく一円玉の話し。

オリンピック東京大会決定いらい世の中にろくなことがおこらないので正月は隠遁しよう

とボサボサ頭のままでいたところ、思いがけずに昔の取引先のご招待で忘年会に呼ばれた。

そこで複数の若者を相手にしてビートルズから明治維新の内幕、はてはキャリーパミュパ

ミュまでの話しにつきあっていたら中年の社員に「シャンさんえらいですね」といわれた。

どうして、と聞くと「ふつう年寄りは昔話か自慢話しかしないのにどんな話にもついてい

く。えらいですよ」といわれた。もともと単純な性格の老生、そうかこういうことはえら

いのか。えらい人は身ぎれいにしないとカッコワルイ。と急に散髪にいくことにした。


行きつけの理容室で料金を払おうとしたところ小銭入れからお金を落とした。あわてて下

をみると一円玉が落ちている。拾おうとしたらレジにいた若者が間髪をいれずにその一円

玉をひろいあげ、おどろいたことにレジへ入れてしまった。おかしなことをすると思う間

もなくレジから別の一円玉を出して渡してくれた。この瞬間キーン先生ではないがその所

作に感激をしてしまった。

床に落ちたものをそのまま渡さない。このすがすがしいばかりの動作をみてこの若者はど

のような躾をされて育ったのだろうかと考えながら、日本にもまだこのような美しい所作

が残っていると思うとうれしくなった。

「いまどきの……は」の枕詞でなにごとも断定する昨今であるが、世の中にはこのような

若者もいる。単純な思考にとらわれずに、もっと広く柔軟に世の中をみれば、今の社会は

そう悲観ばかりするものではないことがわかるだろう。


12/31よんさんよりコメント
季節を感じる写真と文章、いつも楽しく読ませていただいています。
今回は「露国赤毛布」の文章を思いだしました。


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