思いつくまま、気の向くまま
  文と写真は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
センセー、粋な江戸情緒の世界に遊んでるようです。



三の酉




二日繰り越してしまったが、11月というと酉の市。

今年もいつものとおり、いつものように行ってきた。

それを書くなら去年、おととしの文章をそのまま使っても変わりはない。


老妻が茶事にいそしんでいる。茶事というものは俳諧の世界と同じように季節を大事にする。

俳句が季語によって成り立つように茶会の趣向も季節にあったものにする。

先日、その仲間の集まりで老妻が宿題をもらってきた。

今年は三の酉まである、という話からなぜ三の酉がある年は火事が多いといわれるのかが話

題になった。この集まりの大半は、日本の文化も伝統も教えられていない世代である。

わからない人間がわからないことをいくら考えてもわからない。そこで年長である老妻に調

べて来てくれということになった。


三の酉のある年に火事が多いという言われについては、これこれ、しかじかという筋のとお

ったものはない。

ものの本をひもとくと、『江戸の昔、酉の市が立つ日には、お隣り吉原も大サービスをした。

そうなるとどうなるか。「お多福に熊手の客がひっかかり」となって参詣帰りの男どもは吉

原に沈没する。留守をあずかる女房としては、なんとかして亭主をとりもどさなければなら

ない。こんなことが一の酉、二の酉と続いたうえに三の酉まであったのではたまらない。

そこで女房どもは考えた。「ちょいとお前さん、三の酉のある年には火事がおおいから早く

帰っておくれよ」と、「師走をまえにした三の酉には火事が多い」という俗信をひろめたの

ではないか…』と、大筋このようなことが書いてある。

ちょっと見には納得のいくような話であるが江戸前の話としてはまだろっこしい。ものの本

なんてものはきれいごとしか書かない。

そこで考えた。火事というのは、実はやきもちではないか。やきもちも焼きすぎると火事に

なる。それは「そのあした熊手のおかめがしがみつき」という川柳をみてもわかる。こんな

ことが月に三度もあって、やきもちを焼かない女房殿がいたら会ってみたい。


これを書いていたら昔のことを思い出した。

中学生になって一人で遠出するようになったとき酉の市へ出かけた。帰り道人の波について

いったら、やたらに客引きの女がいる街にでた。こういう景色は、家の近くの盛り場で見慣

れているので驚かなかったが規模の大きさからくる異様な雰囲気にあっとうされた。なにで

見たか忘れたが「吉原」という文字はおぼえていた。

家に帰って、母親に「今日吉原を通ってきた」といったら「おや、粋なところへ行ったんだ

ね」と一言いったきりなんの説明もしてくれなかった。その吉原も高校生のときになくなっ

てしまった。それいらい吉原という所がどういうところかも知らない。


戻る