思いつくまま、気の向くまま
  文は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
センセー、今の世の中にあきれ切っちゃってるようです。



どなりどき


みのもんたが、「涙の記者会見」で「息子さんに一言」といわれて「ばかやろう!」と

どなって席を立った。

前にも書いたが友人の夫君は政治ニュースを見ながら気に食わないことがあると怒鳴る。

なんだか自分が怒られているようでいやだし、じぶん時だと食事がまずくなる。と、な

げいていた。


怒鳴るということはどだい理不尽なことである。理路整然と話せないから怒鳴るのだ。

それにこのことは自分個人の都合であってまわりのことは関係ない。赤信号で渡り始め

てぶつかりそうになった自転車に怒鳴るようなものだ。己がよければそれでよい。

みのもんたも、息子の事情など考慮せず、その瞬間は心底息子が憎らしかったのだろう。


わが家では政治経済の番組で腹が立つことがあっても理路整然とその理由を老妻に説明

してきた。ところが最近は怒鳴る。その意味がわかるときは老妻も合いの手を入れてく

れるがわからないときはビックリしている。あまりいいことではないと思うが老化現象

ではない。あまりにも世の中に起こっていることが腹立たしい。愚かな行為をみている

と落ち着いて説明なぞしていられない。いまの政治は「バカ野郎!」の一言でかたづけ

るくらいの値打ちしかない。


最近と言っても10年単位のことだが世の中怒鳴るということがなくなってしまった。

一億総中流といわれた時代があったが、いまや一億総事なかれ主義になってしまった。

よその子でも悪いことをしていれば怒鳴ればよい。それを云って聞かせればわかるなど

と甘やかすからおかしくなる。こんな風だから政治も経済も、いや庶民の生活もメリハ

リのないものになってしまった。

良寛さんではないが、怒鳴りたいときには怒鳴るがよい。「どなりどき」というものは

あるのだ。このトンチキな世の中、友人の家はさぞ賑やかなことだろう。


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