●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
シリーズ4回め、前回のわれわれ全員のクセの続き。



シリーズ なくて七癖

日本人の口癖2

試みに、前回話した「そうですね、やっぱり」を口癖にした話言葉にして、この稿を

進めてみる。

「そうですね、やっぱり、各国には定着したイメージつまり国民性があるものですよ

ね。例えば、几帳面なイギリス人、自我の強いフランス人、勤勉なドイツ人、陽気な

イタリア人、けちなオランダ人、合理的なアメリカ人などというように…

では、日本人の国民性とは? と考えますと、『そうですね、やっぱり』の口癖に象

徴されるように協調性ではないでしょうか。

外国人から見ると日本人はやたらとお辞儀をして、話のときにしきりに頷いているの

に驚くといいます。それは、やっぱり、無意識に出る日本人の癖で私はあなたとは対

立しません、という意思表示なのではないでしょうか。

そうですね。そうした国民性はやっぱり和を尊び、集団主義、中庸性でいかざるをえ

ない農耕民族だったからでしょう。地理的、歴史的、宗教的な面も影響しているかも

しれません。

ところがやっぱり狩猟民族ではこうはいきませんよね。狩をするときは一瞬の自己決

断が必要です。当然自分だけが頼りなので、自分の論理を磨き、判断力を養い、自己

主張をせざるをえません。

そんな違いを見ると、ある意味ではやっぱり日本は組織が守ってくれる生きやすい国

のような気がしませんか? 出る杭は打たれる、とか、根回し、とかの言葉にあらわ

れるように、対立が起こらないように細心の気配りをしますよね。組織の論理に頼っ

ていれば波風は立たず安心だということです。

そうですね、日本人のまず相手を受け入れ、お互いが同一であることを認めあうこと

から始める姿勢が、『そうですね、やっぱり』の言葉に表れるんだと思います」

さてこうして、「そうですね。やっぱり」を頻繁に使って感じたことは、この言葉を

使うときは緊張感のある話を切り出すときだ。

「そうですね」と口火をきれば、何から話そうかと考える時間が得られ、相手に無難

な印象を与えることができる。「やっぱり」は自分も相手もひとまず納得させて、さ

らに言おうとすることを鼓舞することができる。いずれも洗練された話にまとめよう

という意識が潜んでいるようなときに陥りやすい。ところが落とし穴があって、あま

り乱用すると耳障りで聞き苦しいし、自信がないように聞こえる。それにあなたには

逆らいませんよ、という処世術にも受け取られかねない。

やっぱり、(これは本物のやっぱり)言葉は人(広くは国)を表す、である。


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