●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさん、そばにいた若者にエールを送ってます。



電車の片隅で

そのおばあさんは電車の入り口近くの座席の前に立った。手すりにつかまっていても

電車が揺れるたびによろよろしている。

座席に座ってマンガを読んでいた20歳代の小太り男性が上目遣いにおばあさんを見

てそわそわ。そして意を決したように立ち上がり、小さな声で「どうぞ」と言った。

すると、おばあさんはなんと「あ、いいです。すぐ降りますから」。

可哀相なのは小太りクン。中腰のままもじもじ。自分の席に再び座っていいものかど

うか・・・このときのバツの悪さ、キマリ悪さ、わかるなあ。

もう寝たふりをするしかない。

おばあさんはすぐ降りるとしてもここでは“席を譲られるおばあさんの役”を引き受

けてもらわなければ困るのだ。

相手が期待どおりの反応してくれると、人は安心する。

自分にないものを演じるのは無理だけど、人はさまざまな場面に応じて、自分をコン

トロールさせ、ある程度期待されている姿に自分を適応させて生きている。それが社

会性というものだろう。

特に職業となればイメージは固定化していて、あらまほしき姿というものがある。例

えば、おまわりさんはおまわりさんらしく頼もしく、看護婦さんは看護婦さんらしく

やさしく、という風に。

さてここまでが常識論だが、席を譲ろうとした小太りクン、おばあさんに断られたか

らといってめげてはいけません。戦後を生き抜いてきた女性にはさまざまなタイプが

いて、可愛いおばあさんになるよりもへそまがりのいじわるばあさんみたいのがいる

のだ。

心優しき小太りクンよ、「やってらんないよ!」とあきらめないで、この人はてっき

りこうすると思ったのに、まったく意外なことをしたとか、こんなタイプだと思った

ら異なるタイプだったとか、そんな自分の思い込みと違った体験をたくさんして、人

の多様性を学んでたくましくなってほしい。


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