3/12のしゅちょう 文は田島薫
(逆境の日常の過ごし方について)
なんだか大変な環境の中にいる人々が増えてる世の中、相当のんきな私でも、へらへ
らしてるだけじゃ生き抜けない、って感じてるこの頃なんだけど、それでものんきな
人々も大勢いて、それは、例えば金があるとかないとか、仕事が忙しいとかめっきり
暇だとか、そういったこととは関係ない心の持ちよう、ってことが大きいんじゃない
かと、うすうす感じてたところ、きのうの新聞のコラムで、あの、郵便不正問題の虚
偽公文書作成疑惑で無実の罪を着せられ、その疑う中に私自身も含まれるんだけど、
そうやってほとんど日本じゅうの人々から言わば見捨てられ、1年以上も留置されて
しまった苦しみはいかばかりかと同情していた厚労省の村木厚子さんが、なるほど話
を書いてたんで、またもや受け売りでご紹介。
命まで取られるわけじゃないからと夫からは励まされたけど、全く先が見えないよう
な不安に取りつかれ、取り調べに耐えられるのだろうか、いつまで勾留が続くのだろ
うか、と思い巡らし、ひどく落ち込んだ、と。しかし、天台宗の2度の千日回峰行を
7年かけて成し遂げた酒井雄哉さんの「一日一生」って本で救われた、と。その偉業
を「一日づつの積み重ねでしょう」ってあっさり書き、「身の丈に合ったことを毎日
くるくる繰り返す」と、それで、ああそうか、ってわかった、と。「いつまで続くの
か」と思うのが苦しいのであって、今ここにいる自分が今日一日で出来ることをやっ
て、その結果は結果で受け止めようと考えたら楽になった、と。出来ることは、特別
なことではなく、何一つ思うようにならない環境の中にあっても、朝起きて食事をき
ちんととって、今日の日課をこなす、それだけ、きちんと食べて眠ること、これが全
ての基本だと気づいた、と。
その村木さんは震災後の被災者は自分の苦しみに比べるべくもないと同情し福島に行
ったら、逆に被災者にえん罪被害をなぐさめられたそうだ。それについて複数の人か
らもらった視点は、「つらい立場にあっても助けられるばかりとか、励まされるばか
りでは嫌なもの、村木さんを励ますことで被災者の方は元気が出たのでは」って、こ
れは村木さん自身のただ「かわいそうな人」という枠にはめられ心が動かなかった時
期の記憶と重なる、と。人は災いに打ちひしがれながらもそこから動こうという力を
持っている、と。その力を周囲は抑えこんこんじゃいけない、と思った、と。