あれから一年
まだ、復興には程遠い。
復興とは何だろう?
私にとっては、東北の野菜や果物、農産物が、昔のように安心して食べられること。特に、
福島の桃を、お腹いっぱい食べたい。宮城の牡蠣やサンマ、三陸の海の幸もお腹いっぱい
食べたい。
それに、福島を離れた友達が、子供を連れて、戻ってくること。家族が安心して一緒に暮
らすこと。避難生活をしている人たちが、それぞれ望むかたちで自分たちの暮らしをする
こと。
山形が、もう瓦礫の受け入れをしなくて良くなること。これ以上の環境汚染をしないこと。
東電は、ありとあらゆる全ての保証を行うこと。全ての原子力発電所の停止。
まともな政治家による、まともな政治と政府が欲しい。
パッと思いつくのは、こういうところだろうか。
あんなに喧伝されていた、募金や義捐金はどうなったのだろう?ちゃんともらったような
話はいまだに聞かないし、いったいどこに消えたのだろうか。
あの日は、一年後とか、そういうことが想像できなかった。とにかく今からどうなるのか
全く分からなかった。果たして明日が無事に来るのか、としか考えられなかった。
一か月経った、三か月経った、半年経った、とやっと感じていたけれど、もう一年なのか、
やっと一年なのか、よく分からない感覚でいる。
特集番組などもたくさんあるが、お涙頂戴や、背広を着た無関係のオッサンたちが、形に
ならない復興支援策を語るのはやめてほしい。また、テレビの取材の人も、特に若い女性
を福島原発近くの中継地にやるのは、やめてほしい。福島の原発は壊れながらもまだ動い
ていて、放射性物質が、世界中に垂れ流しになっている。
津波の映像を見ると、あの時の寒さと呆然とした気持ちを思い出す。私がテレビを見たの
は、地震からまる一日半経った時だった。
日本は法治国家、文化国家じゃなかったのかな。技術も高いし、日本人の品位とモラルも、
高いはずではなかったか。まだ手つかずの被災地と、壊れた原発からの放射線値を見なが
ら、考えてしまう。
「東北だから、東北の人だから、我慢強い。」という言葉だけが巡る。 |