思いつくまま、気の向くまま 文は上一朝(しゃんかずとも)
シャンせんせいのガンリキエッセー。
さすがシャンせんせい、聞いた話も使えるように組み立てました。
見た目だけでは…
知人から聞いた話である。
90歳をすぎてなおかくしゃくとしている叔母のごきげんうかがいにいった。
部屋にはいるとダンボール箱を中心にビニールの袋に入ったものが散乱していた。
ご機嫌ななめの叔母がなにかをさがしている。
話を聞くと、テレビ通販の電池で動く掃除機をみつけた。モデルが片手で軽々と使う姿をみて、
これなら自分でも使えると早速申し込んだ。
それが今日届いた。胸をわくわくさせながら箱を開けたところ、自分が思っていたものは入っ
てなく、なにやらこまごましたものが入っているだけだった。
短気な叔母は、「これは自分が頼んだものではない」とすぐに返品の電話をしたところ、「返
品の用紙に記入して返送してくれ」と言われたのでそれを探しているところだという。
この手の電気器具は自分で組み立てるものだということには考えもおよばず、「こんなものを
送ってきてウソつきだ、サギだ」と息巻いている。
吹き出すのをこらえながら組み立ててやると、とたんに「そうよ、これよ、これが欲しかった
の!」と、いままでの権幕を忘れたようにごきげんになった。
いま衆院選挙のまっただなか。
公約だとかマニフェスト、アジェンダなんていうものが魑魅魍魎のごとくとびかっている。
有権者はそれを信じたり、目安にして投票するわけだが選挙公約というものは機能を示すだけ
ですぐには実現しない。公約とは、テレビの画面の中で軽々と動かす掃除機とおなじだという
ことを忘れてはいけない。
公約の見た目のよさで選ばずに、公約の中身と実行できるのかどうか、また実行するとどうい
う世の中になるのか、をよく考えて選ばないと後で大騒ぎをすることになる。
民主主義というものは、自分で組み立てていく面倒くさいものである。