●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさんの目で見た豊かな紅葉鑑賞劇場。



秋色ドラマ

久しぶりに訪れた公園に一歩足を踏み入れたら思いがけず色の洪水に見舞われた。いつ

もの鬱蒼とした木々に包まれた静かな雰囲気とは明らかに違う。

木々がいっせいに色を放ち主張しているのである。

いろはもみじが赤く、橙色、黄色、或いはグラデーションとなってさまざまな色を見せ

ている。銀杏の葉っぱが黄色く染まり、すでにはらはらと落ちているのもある。

そして道はそれらの落ち葉で埋まり黄色や赤茶色に敷き詰められている。

まっすぐ頭を上げて見上げれば、きれいに青く晴れ上がった空をバックに常緑樹の青、

銀杏の黄、紅葉の赤が重なっていた。

色が競演する劇場にきたようだ。

人は感動すると誰かに告げたくなる。写真や絵や音楽や言葉などで。

私もこの美しさを誰かに語りたい。

なおも公園の奥に進んでいくと、木々は一層動きと色で饒舌になっていた。すでに散り

始めた銀杏の葉が風にのって私の顔や肩にふりかかる。木の茂りで暗い所から芝生の明

るい空き地をみると、落ちていく葉が吹雪のように舞っている。

午後の日差しが斜めになると立ち木が落ち葉の絨毯に陰を落とす。それはまるで意志が

あるがごとく鋭い黒い線で描かれたデザイン画となっていた。

奥に池がある。

池の水面に紅葉が枝垂れていて逆光を浴びた葉はますます赤く照り映える。落ちた葉っ

ぱは水面を埋め尽くし、金襴緞子の錦の一枚の布となって輝いている。“有終の美”と

か“滅びゆく美”という言葉があるが、消えていく感傷も哀愁もない、まるで笑いさざ

めいているような陽気な光景であった

この日、私は木々による華やかな終焉のドラマを見たのだが、それは春には再び色を変

えて再生する希望のドラマなのだと思うととても幸せな気分になった。


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