●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさんの新シリーズ6回め。バアサンなんだか無我夢中。



シリーズ 人間模様

バアサンの防災訓練

I子バアサンは一人暮らしである。

東日本大震災以来、見るにつけ聞くにつけ自分の身は自分で守らなければ、と痛切に感じて

いた。

「ったく、ひとりぼっちは心細いやね」

膝の上の猫に手をのせてつぶやく。最近めっきり独り言が多くなった。

そんな矢先、町内会の防災訓練が近くの公園で行われるという回覧が回ってきた。「ご時勢

だねえ」といいながら目を通すと、日にち、場所に並んで特典が書いてある。消火器の無料

詰め替え、非常食の配給、豚汁とおこわで昼食。「おやおや、盛りだくさんだこと」日頃町

内会の催しには見向きもしなかったけど、ふと、「行ってみようかしらん」と思った。

その日は秋晴れ、残暑さもやわらぎ防災訓練日和であった。

まず受付で家にあった消火器の中身交換を申し出ると、I子バアサンの消火器はあまりに古

すぎて使い物にならないとのこと、新しいのを勧められた。

「ちっ、5980円の大出費だわい」

I子バアサンは無料の当てがはずれて機嫌が悪くなる。あとは非常食のビスケットと昼食だ

けが楽しみとなった。

三つの町内会合同の防災訓練とあって100人以上の人々が集まっている。

会長挨拶のあと、ラジオ体操第一をやらされ、訓練の内容の説明があった。

そのとき、おや、と思った。「指揮っているのは確か息子の幼馴染のコンちゃんではないか、

おやまあ、立派なおじさんになったこと」

さらに見渡すと、PTA時代の顔見知りがいる、馴染みの店の主人がいる、会えば挨拶をする

人がいる。目が合って、やあ、やあとやっているうちにちょっとした井戸端会議になり、I

子バアサンの次第に機嫌は良くなっていた。

AEDの使い方の訓練では、消防士が人形を相手にお手本を見せた後「どなたか実際にやって

みませんか」と声をあげると、すっかり調子に乗ったI子バアサンは自ら手をあげて挑戦し

たのだった。あまり一生懸命やったので汗が噴き出してきた。終わると皆が拍手してくれた

が、よくよく考えると、自分がするよりもされる確率のほうがずっと高いんだと気がついて、

バカを見たと思った。

煙の巻かれた想定の訓練では、煙の充満したテントの中に入り一寸先も見えず右往左往。方

向音痴の習性がもろにでてしまい、皆に笑われてしまった。

老骨の身に2時間の防災訓練はがっくり疲れたが、日頃無為の日々を送っているI子バアサ

ンにとって充実の1日であり、地域の力って馬鹿にならないぞ、と思ったのだった。


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