思いつくまま、気の向くまま
  文は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
内省と向上心の人シャンせんせいが、お宝発見しました。



ゴミがお宝になるとき

「ガラクタも百年経てば値打ちがでる」と言った人がいる。

百年前といえば明治時代。確かに明治時代のガラクタでも結構な値がついている。

しかし、百年の刻を待たずとも、思いもよらぬものが出てくるとお宝になることもある。

今回は、そんなお話し。


「あなたは不要なものに、いくら家賃を払っていますか」というカタズケ屋さんの言葉を

思い出し、部屋を見回すと大分ガタがきているが蹴飛ばせばまだ動く壊れかけたワープロ

が目についた。

ワープロを処分すると変換ソフトを持っていないので、「もし大事なデータが残っていた

ら大変!」というわけで、仕舞い込んだFDのチェツクを始めた。


三枚のFDに100通を超す手紙のデータが残っていた。

よほど重要な内容でなければ手紙の控えを取っておく人はいないだろう。IT文化のなせ

るわざである。

宛先は一人。こう書くと特定の人に100通もの手紙、ラブレターを想像するだろうが残

念ながらそんな艶っぽいものではない。

書評あり、時評あり、ときにはその時その時の想いが書いてある。これが著名人の書簡で

あるならば値打ちものなのだが、所詮凡夫の手紙はゴミ以外のなにものでもない。

来信はすでに手元になく、なかには記憶と辻褄の合わないものもあるが、昔の青くさい論

戦が甦りなつかしいものがあった。


少しは部屋を広く使おうと思いつかなければワープロも完全に壊れてしまい、FDの山も

ただのゴミになってしまうところだった。

半日の手間をかけてWordに変換したこの手紙のデータは、相手の存在とともに自分の

来し方を証明する新たなお宝となった。カタズケ屋さんの金言に感謝!である。


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