2/7の日記          文は田島薫

禅問答

先週の日曜に90才の画家である友人と電話してた、って書いたんだけど、いつも世間

の風潮などについて彼と批判しあったりするのを楽しんでるんだけど、それともうひと

つは、新旧の事柄についてインターネットで調べてくれ、って求めに応じて、私が事務

所から電話してた時はたいていその場で、そうじゃない時や、すぐに答がみつからない

時は後日調べてから、電話で知らせることをやっている。

先週頼まれたのは、禅の鈴木大拙について、不二、って言葉と同義の6文字言葉はなん

だった?ってもんだったんだけど、ネット検索でその通りを打ち込めば、すぐにわかる

だろう、と思って月曜に検索したら、それらしいことが全然見当たらない。南無阿弥陀

仏、が一番近いようで、全然的外れ、って気もして、とりあえず時間くれるように電話

したら、ゆっくりでかまわない、ってことだった。その翌日も、かなりあちこち検索し

たものの、だめで、なんだか禅問答をしかけられたような気分になりながら、自分がか

つて買って読んだ大拙の文庫本を引っぱり出して、どっかに出てなかったか探したがわ

からず、日曜日はけっきょく半日それを再読してしまった。

ちょうど、新聞評で泣けた、ってあったアルツハイマーの母と息子とその恋人、ってド

ラマを午後につけて見てみたんだけど、だいたい筋書きが読めた半分ほどで消し、その

禅解説本を読み続けたわけだけど、その禅問答の例が、なんだかアルツハイマー患者の

問答と同じじゃないか、って感じられておかしかった。

禅は理性による判断ってもんを否定してるわけなので、その問答がまったく理不尽に聞

こえることばかりをやり、その理性的思考法から脱却することを目的としてるようだか

ら、冷静に見てると、禅坊主たちは、口から出まかせのかなりいい加減なこと言っちゃ、

それについて深読みしてくれることを期待してるんじゃないか、って修業の足りない私

には思えるのだった。で、けっきょく、そのたのまれた6文字言葉はわからず、禅問答

の旅は1週間経った今も進行中なのであった。

なんだか、勉強したような気もせず、ただ無意味な言葉の遊びを強制されたような気分

を発散させるため、家人が風呂入ってる間にジミ・ヘンを大音響でかけたのだった(出

てきたら消すかボリューム下げないと怒られちゃう予定)。




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