思いつくまま、気の向くまま
  文は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
理研にいたこともあるシャンせんせい、今の御用学者の無能ぶりに怒ってます。



また、実験材料に…

福島原発の事故発生からそろそろ一か月になる。その間事故は政府及び政府機関の無策、

というより傍観によってますます拡大を続けている。

このような言い方をすると東電の責任を問うべきといわれるだろうが、原子力という国家

管理下にある事業は国が責任をもって処理にあたるのがあたりまえであって、いま当事者

である東電の責を問うのは別問題である。


日本は核に関して過去二回実験材料にされている。実験の第一は1945年の広島に落と

されたウラニュウム爆弾、長崎に落とされたプルトニウム爆弾である。次に1954年の

ビキニ環礁における水素爆弾の実験で被災した第五福竜丸事件がある。

広島、長崎は戦争の結果であって実験ではないというかもしれないが、この原爆投下は戦

術的には必要なく核兵器の科学的、政治的効果を確かめるための実験であった。第五福竜

丸事件はまちがいなく水爆実験の犠牲である。


広島、長崎のときは理研の仁科博士をはじめとする核物理学者が原爆の解明にあたり、医

療の面は各帝大医学部の放射線科の医師が治療にあたった。いずれも当時としては世界一

流に位置する科学者達である。残念なことにこれらの貴重な調査結果はアメリカに持って

いかれてしまった。第五福竜丸のときは、独立間もない困難な政治状況の下、東大医学部

などがビキニ環礁における水爆実験が原因であることをつきとめた。これは、アメリカが

いまだ正式に認めていないことであるが…。

それにひきかえ今回の原発事故対策には専門の科学者の姿がまったく見えない。事故後3

週間にしてようやく首相の直轄機関である原子力安全委員会が姿をあらわしたが事故対策

に変化はみられない。本来であるなら日本の原子力行政の頂点にいる彼らが主導して事故

対策にあたるべきところをいまだに東電の技術者まかせでいる。

過去二回の核被災にみせた学者魂はどこへいったのか。政府、企業、マスコミの御用学者

となりはてた彼らはもはや科学者とは言えない。


事故対策に進展をみせない日本にしびれをきらせ、国内に原発問題をかかえるアメリカ、

フランスが科学者、技術者を送り込んできた。彼らにとって、自国では絶対に起こしては

ならない原発事故に翻弄されている日本は得がたい実験場となっている。政府及び日本の

原子力学者はこれを屈辱と感じないのか。


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