●連載
虚言・実言 文は一葉もどき
横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
野田さんは分際を知ってるようだ、ってもどきさんが言ってます。
おのれの分際
いままで菅さんの原稿の棒読み演説にうんざりしていたのだが、民主党代表選挙のと
きの野田さんの演説には思わず聞きほれた。
比喩を使いわかりやすくよどみなく聞く者の胸にすっと入ってくる。そのとき比喩に
使われたのがドジョウ。自らをドジョウになぞらえ、泥臭さをアピールした。この演
説が功を奏したのかどうかわからないが野田さんが新代表となり、首相となり新しく
野田内閣が誕生。マスコミは早速ドジョウ内閣と呼んでいる。
話はちょっと横道にそれるが、ドジョウと比較された金魚は、実は今、アートアクア
リアム展でその美しさを最大限に生かされた展示がされている。
水槽や照明にさまざまな工夫を凝らして、最新の演出技術をもって美しい金魚をアー
トとして幻想的に効果的に見せる。
そのコンセプトは“見られるために生まれてきた金魚をよりきれいに美しく”だとか。
イメージとは恐ろしい。“人に見られるために生まれてきた華麗な金魚”はますます
美しく、“水底で泥まみれになっているドジョウ”はますます泥臭く、と人間のイメ
ージでしっかり色分けされてしまうのだ。そのイメージが人の胸にぴったり収まった
ときに人々は安心するのである。
もし、先程のドジョウの比喩が前原さんの演説の中だったらきっと違和感を覚えただ
ろう。
つまりおのれの分際をよく知ること、ということか。
相田みつおは「どじょうがさ金魚のまねすることねんだよなあ」とあの特徴のある字
で色紙に書いている。ドジョウにはドジョウの分際が、金魚には金魚の分際があると
いうわけだ。
童話でも、人魚の分際で人間になった“人魚姫”は悲劇で終わっている。おのれの分
際をわきまえることは大事なことと教えているのだ。
新首相の野田さんはくれぐれも金魚なぞにあこがれてはならないのである。