思いつくまま、気の向くまま 文と写真は上一朝(しゃんかずとも)
シャンせんせいのガンリキエッセー。
月がシャンせんせいに連想を誘ったようです。
月月に…
前号で、十五夜につづいて十六夜(いざよい)十七夜(立ち待ち月)とあるのを物知りに
教えてもらった。
それにつづいて寝待ち月、更け待ち月(二十三夜)とつづくのも知った。
日が経つとともに月の出が遅くなる。いろいろな呼び名は月の出をめでると言って夜更か
しの口実につかったとか。ここでいう夜更かしとはもちろん遊興のことだ。
とくに二十六夜は、月の出とともに阿弥陀、観音、勢至の三尊が現れるというので、それ
を拝むためと言いわけをいいながら深夜2時ころまで遊興にふけったそうだ。
台風一過の二十五夜の1時ころ、ベランダに出てみると隣家との仕切りと庇が形作る三角
形の空間に下弦の月が雲間に浮かんでいた。
とくべつ二十六夜のまねをしたわけではない。わが家にとって夜中の1時は宵の口とはい
わないがまだ夜のうちである。といっても、稼業は泥棒ではない。
三角形に縁取られた月をみていたら子供のころ使ったコーリン鉛筆を思い出した。おぼろ
げな記憶によると三角形の枠の中に月の横顔、そう花王石鹸のマークがはいっていたはず。
マークがモダンに感じて好きだった。トンボ、三菱鉛筆などの一流品と比べるとすこし安
かったような気がする。
なんせ記憶があやしいのでコーリン鉛筆を調べてみたら違っていた。正しくは正三角形の
斜面のひとつが人の横顔になっている。どちらかというと写真のイメージに近い。
コーリン鉛筆は一度倒産したが、近年「(株)コーリン色鉛筆」として再建した。最近コ
ーリンの色鉛筆に人気があるらしい。
月の字を八ついれて仲秋(八月)の名月を詠った歌がある。
『月月に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月』
歌の前半は読みようによっては月日のながれを詠っているように思える。
二十五夜の月のアングルが昔のことを思い出させたのも、この月の月かもしれない。