思いつくまま、気の向くまま
  文は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
旧い街がシャンせんせいを感傷的にさせたようです。



踏切のある町

沿線に洒落た街が多いことで人気が高い私鉄のT線。

そのT線で都心から40分の新開地へ出かけた。

用事が早く済んだので、二つほど先の駅のそばに住む友人を呼び出すと、「最寄り駅へ来

てくれるのなら」との返事で落ち合う場所を聞いた。

「改札を出たら踏切を渡って…」と聞いて、思わず「えっまだ踏切があるの」と聞き返し

てしまった。

そのあたりは、昔むかしその昔、開発にともなう遺跡発掘でかよったところだ。町の片鱗

はかすかに覚えている。その後のT線沿線の発展とともにとっくに立体交差になっている

と思っていた。


踏切は寺の山門の直前にある。

明治時代、二寺の合併で命名された今の寺名は新しいが元の寺は古刹である。

T線を通すとき、当時の住職が地域の発展をねがって電車が境内を横切ることをゆるした。

踏切を渡ると旧境内に建つ家並みのむこうに、参道にそって昔の門前町のふんいきを残す

落ち着いた商店街がつづいている。その中に町にそぐわない大きな和菓子屋がある。昔か

ら宿場町、門前町と人のあつまる所には、菓子屋、呉服屋、家具屋がかならずあった。い

ま、呉服屋と家具屋があるかは知らない。

友人に言わせると「スーパーは一軒、喫茶店だってここしかない」というが近隣に住む人

に必要なものはそろっているのだろう。住人のための商店街という趣にみちている。


自分の住むところは、50年前住宅公団が日本で最初に団地を作ったところだ。古くから

いる人に聞くと、団地をとりまいてなんでもそろう賑やかな商店街があったそうだ。とこ

ろが20年ほどまえ、老朽化改築のとき公団の無策で5年ほど空き地になっていた。


その間商店街は次々と閉店して現在は往時の五分の一、商店街は廃墟となっている。その

かわりに駅前に日本中どこにでもある大きなショッピングビルができた。また、近くには

買い物や飲食にことかかないショッピングモールがあり、街道筋にはアパレル、家電、家

具、食品と量販店がそろっている。買い物に不自由はないが、いずれもただ物を買うとこ

ろであって自分たちの商店街ではない。

金と物を交換するだけで住人との交流はなく、夕涼みがてら下駄をつっかけて店をひやか

すというわけにはいかない。


踏切のある町に立ったとたん、懐かしさを覚えた。

中仙道の出発点の近くに育った者としては子供のころに戻ったような気がする。

立体交差や高架鉄道は人と電車の間をよそよそしくする。遮断機の前にたって疾走する電

車を見ていると親しみがわく。もっともあまり親しくすると事故になるが。

商店街もおなじだ。ただ、道具としてあるだけではなんの親しみもわかない。

夏の夕方、下駄をつっかけて踏切の開くのをまつ自分の姿を想像すると、昔ながらの町に

住む友人が羨ましくなった。


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