思いつくまま、気の向くまま
  文は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
シャンせんせい、民主党成り上がり政権の品性のわるさを指摘しました。




幸いも天から降ってくる

禍は天から降ってくる。という言葉があったように思う。

ココ通のテーマに悩んでいたとき、松本復興相のニュースがとびこんできた。

幸いも天から降ってくることがある。


防災特命大臣のときは、民主党にしては世間並の仕事をすると復興相就任に期待をしてい

たのだがみごとに裏切られた。

ことの詳細はみなさんご存じなので書かないが、「知恵を出さないやつは助けない」とか

「県でコンセンサスをとれ、そうしないと我々はなにもしないぞ」あたりは成り上がり大

臣が舞い上がったときによく発言する政治上の儀式のひとつなので許せるが、宮城県知事

に3〜4分待たされて「客が来るときは(部屋に)自分が入ってから呼べ」と言った。

確かに大臣というものは分単位で行動するし、いやしくも一国の大臣であるから待たされ

て立腹する気持ちは理解できるが、公衆の面前で言うのは許せない。

治家同士が政治の話しで暴言を吐くのは当人の真意なのだから政治の場で決着をつければ

すむことだが、客云々は道徳の話である。個人の礼節の問題を報道陣の目前でするという

ことは品位、品格にかかわる問題だ。


昔々自民党の大物代議士が大臣のとき、傘下の事業所を訪れたときその場の長が部屋にい

なかった。大臣は一瞬顔色が変ったそうだが部屋には大勢の関係者がいたので少し遅れて

きた長と和やかに話しをすませて帰った。後日秘書を通じてその事を注意したら失礼をあ

やまりにきたそうだ。これが品性というものではないか。これは使いにたった秘書氏から

聞いた話し。

ところが松本問題は、政界のお約束どおり野党からつきあげられた官房長官が「個人のこ

となので預かり知らない」としらを切った。どうして「その件については注意するとか、

言葉に問題があったようだ」と言えないのだろう。

もっとも品性とか品格に縁のない親分を頂いている子分であるから親分以上のものは出て

こなくても不思議はないが。


天から降ってきた幸いはココ通のテーマばかりではない。

自民政権下品性下劣な大臣は掃いて捨てるほどいた。その自民政権に嫌気がさして民主政

権を選んだのではないか。

ところが民主政権も品性とはほどとおい親分の言動につづき子分もダメ押しをしてくれた。

今回のことは、政党にこだわらずに政治家の資質というものを根本から考え直せという天

からの啓示ではないかと幸いに感じる。


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