●連載
虚言・実言 文は一葉もどき
横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
言葉の荒さや丁寧さより大事なことがある、ともどきさんは思いました。
目線が高い
学生時代に大阪出身のひとと親しくなった。
ゼミやクラブは違ったがどこへ行くのも一緒だった。
あるとき、「買い物へつきあわへん?」といわれ、
「いいわよ。つきあってあげる」と答えたところ、
「その言葉、上から目線やね。大体東京の人は尊大やわ」といわれた。
「大阪じゃあなんていうの?」
「かまへんよ、かな」という。
なるほど、「○○してあげる」という言葉には、恩着せがましい響きがある。
大阪人の彼女には東京人にはとりつくしまがないような雰囲気があり、言葉がきついとい
っていた。
そんな遠い昔の話を思い出したのは、最近松本復興元担当相が上から目線で物を言って不
快である、と辞職を余儀なくされたからだ。
被災地に行って、俺は九州の人間だけど担当大臣になったから復興を手伝ってあげる、と
いう姿勢では到底誰からも受け入れられない。
私は松本龍という人物の過去の生い立ちも功績も知らないが、単なる言葉の荒さで人々の
批判を浴びたのではないと思う。
もし誠実な人柄ならば、目線が高くても自ずと言葉の選び方にも気を遣うようになるし、
自覚がにじみでるものだ。そうすれば言葉の使い方が適切でなくても態度や行動が補って
くれるはずだ。まだ何も仕事をしていないのに言葉だけで降ろされたのはやはり本人の不
徳なのだろう。
このごろよく言葉の軽さが話題に上る。サービス精神に富んだ日本人は言葉遣いに過度に
敏感になってしまったような気がする。心地よい言葉を求めすぎて中身をみようとしなか
ったり、相手を傷つけまいと気を遣いすぎて本質から目をそらす風潮になってしまった気
がする。
例えていえば、コンビニや銀行などのやたらと丁寧語だらけのマニュアル語、病院での
「患者さま」という言葉の横行など、極端としかいいようがない。
上っ面の言葉のやさしさよりも責任ある誠実な行動の方を私は信用する。
(一葉もどきはこれより8月14日まで夏休みをいただきます)