思いつくまま、気の向くまま
  文は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
シャンせんせい、幾多の艱難辛苦の末に一つの悟りに入りました、って。




気楽に生きれば

政治を意識してそろそろ半世紀になる。

一国の首相が辞意を表明したのに、与党は代わりの人間をたてるどころか、無期限辞意の

首相にふりまわされている。また、政権交代の絶好のチャンスであるのに野党もただ手を

こまねいてみているばかり。

過去50年の政治劇をふりかえってもこんな珍事ははじめてのことだ。まさに、老生にと

っては未曾有の事態である。

もっと不思議なことは、この無政治状態に直面しながら国民からなんの異議もとなえられ

ないことだ。

60年安保の闘士が当時をふりかえって「あの時は私だって、いや誰も安保条約を読んだ

人はいなかった。だけど国民がこのままでは日本がおかしくなる、という直感をもってい

たからあれだけの運動になった」と言っていたが、いまの国民には国家の危機という直感

すら生まれなくなってしまったのだろうか。


ここである言葉を思い出した。

作家永井荷風が昭和16年の日記に書いている。『元来日本人には理想なく強きものに従

い其の日その日を気楽に送ることを第一となすなり。今回の政治革新も戊辰の革命も一般

の人民に取りては何等の差別もなし』と。

日記の前半は言葉どおりにうけとればよい。後半は少し解説が必要かもしれない。

『今回の政治革新』とは、日中戦争が泥沼状態に陥り、日米関係も怪しくなっていたとき、

この事態を解決するための第三次近衛内閣の発足を指し、『戊辰の革命』は、明治革命別

名明治維新を指す。くだいて言うと「戦争を避けるための新内閣も近代国家建設を目指し

た明治維新も、国民にとっては「おいらには関係のないことでござんす。はは、のんきだ

ね」なんだから度し難い」と言っている。


子供手当も高速道路無料化も自分に関係のあることには騒ぐが政治の大局は知らん顔。

若くして欧米民主主義を肌で感じ、日本古来の道徳のなかで個人主義をつらぬいた荷風山

人が70年前に看破した日本人の特性というものは変わっていないのだろう。60年安保

の時が特別だったのだ。


この先何年生きるかわからないが、日本人である以上民主主義なんて手間暇のかかること

に心を砕かないで、荷風山人の金言を座右の銘として気楽に生きてゆくのが良策のようだ。


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