●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
相手に伝わる励ましについて、もどきさんは考えてます。



シリーズ 震災余話

励ましの言葉

東北大震災は避難、捜索の段階から復旧、復興の段階に入った。長い避難生活からともす

るとくじけそうになる心を立て直すためには心からの励ましの言葉が必要だ。

「がんばって!」という言葉をかけるのは簡単だが、何もかも失ってまだ気持ちの整理の

つかない人に「がんばって」といえばどうだろう。「もう十分がんばった。これ以上何を

がんばれというのか、人の気持ちも知らないで」と反発を感じるかもしれない。

復興ムードでなかで、がんばれの声でもうひとふん張りできる人もいれば、まだ喪失感に

よる心の傷が癒えてない人には余計孤立感を余計深めてしまうかもしれない。「がんばれ」

の言葉は受け手がどんな状態かで、励ましにもなれば負担にもなる。

最近精神科医による“がんばらない”という生き方の提唱や、“癒し”という言葉の流行

で、この言葉の使い方がデリケートになっている。

では、他にどんな励ましの言葉があるのだろう。

最近「一人じゃないよ」という言葉をみかけた。悲しみや苦しみを共有して、一緒にその

重荷を背負うという励ましだ。

身近でこんな話を聞いた。

73歳のお婆さんは、せっかく命からがら生き延びたのに過酷な避難所生活で肺炎になっ

た。そして横浜に住む娘さんの家に引き取られ一カ月も療養すると全快した。何不自由の

ない実の娘の家である。そのまま居続けるかと思いきや、そのお婆さんは前の避難所に帰

りたいという。娘が「だって避難所には物はないし、不便だしここに居ればいいじゃない

の」と諭すと、そのお婆さんはポツリといった。「あそこにはみんながいるから…」

みんなとは災難を共有した人たちだ。

お婆さんにとっていくら不自由でも実際に苦しみや哀しみをともにした仲間がいるところ

が一番の癒しの場所なのであった。

励ましの言葉はむづかしい。

結局、励ます相手にいかに心に寄り添えるかである。

街にでると、「がんばろう!日本!」の横断幕が風にはためいている。この言葉が本当に

心のこもった励ましになるかどうかは、行動であらわすしかない。



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