●連載
がたやま娘のひとりごと      文はこんのたえこ


地方文化都市山形で、世界の様々なことを感じ考えている
賢くうら若い(?)娘の話を聞こう、疲れたおじさんおばさんたちよ!

さらに続く不安と忍耐生活。たえちゃんとこの被災報告シリーズの6だす。



被災地の隣にて その6

余震の続く中、それから一週間、私は服を着てずっと茶の間で寝ていた。とにかく怖か

ったのだ。パジャマを着て2階で寝ることは、当たり前のことなんだけど、その時の私

にとっては、落ち着かないことだった。


地震から1週間後の週末、愛犬わたるを連れて、祖母の家に行った。


みんな元気で、特に寒いとか不自由していることも無いようで安心した。それから、東

京の叔母が急きょ来ることになったとのことで、みんなで待っていた。羽田から山形空

港までの席が1つだけ空いたとのこと。


お昼過ぎに叔母が無事に来た。「山形空港、すっごい混んでるよ。あんなの見たことな

いよ。いやすごいわ。」と言いながら、お土産をたくさん持ってきてくれた。その中に

はパンもあった。その時期は物資不足で、パンが手に入らなくなっていたので、叔母が

持ってきてくれたパンを「高級品だね。」と言いながら、美味しくいただいた。叔母も

東京駅のデパートで地震に遭ったそう。すぐに退去の案内があって、徒歩で自宅に戻っ

たと。いろんな話をし、「今日はみんなで泊まろうよ。」ということになったので、み

んなで叔母が作った夕飯(物資不足にも関わらず、たいへんなご馳走)をお腹いっぱい食

べて、祖母と一緒の部屋で、叔母と夫と、わたるも一緒にみんなで寝た。


私は地震酔いになって、地震から2週間くらい経ってもダメだったので、精神科に行っ

て精神安定剤と軽い睡眠薬をもらってきた。


正直、4月7日(木)の深夜に大きな余震が来るまでの記憶が、あんまり無い。毎日毎日が

食料の確保と、いつガソリンや灯油が流通するのか、ということで必死だった。その日

の昼、みんなで「地震のだいたい1か月後に、また地震が来るんだって。そろそろだか

ら気をつけなきゃね。」という話をしていたばっかりだった。


その時は、やっと2階で寝ていたのに、ドーンという音と共に突き上げられたので飛び

起きた。その直後に携帯の地震速報が鳴った。枕元の懐中電灯を引っ掴んで、階段の電

気を点けてすぐ下に降り、茶の間のテレビを点けようとしたが、もう停電していた。

「えっ?」と思って階段を見たら、確かに点けたはずの電気が消えていた。「またかよ

・・・」と思ってガックリきた。


しばらく携帯のテレビを見ていたが、深夜だし電気も点かないし、仕方無いので布団に

くるまって目を閉じてしまった。


翌朝、起きて茶の間のテレビを点けてみたが、まだ停電していた。ガックリした。トイ

レの暖房便座も冷たかったので、さらにガックリした。


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