●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
鎮魂の意味をこめたシリーズ、日本が原発に頼ってよかったのか?



シリーズ 震災余話

謝ってすむことではない・・・

テレビの画面の中で男たちが揃って頭をさげる。過去に何度こんな場面をみてきただろ

うか。

でも、今度の原発事故は謝ってすむことではない。

あまりにも被害が大きすぎる。これは地球規模で考える問題なのだ。

やりきれないのは、安全と信じていたものに裏切られたこと、事故に対応する指導者が

信じられないこと、ひいては自分たちの信念が信じられないことなど不信に満ち満ちて

いることなのだ。


さかのぼること66年、日本に原爆が落とされた。そのすさまじさと悲惨さを日本人は

骨身に沁みているはずだった。

なのに、原子力発電に頼る国となった。

国益・経済成長・エコという名の大義名分のための便利な手段はなかなか手放せないか

ら…国民も電気の恩恵に溺れ、すっかり快適な生活に慣れてしまったから…原子力の危

険性を知りながら、優秀とされた技術力がカバーするだろうという根拠のない楽観的観

測でごまかしてきたから…

今、破壊されて鉄骨がむきだしの福島原発を見ていると、どうしてもあの広島に遺され

た平和ドームに重なってしまう。

あのとき以来「原爆許すまじ」「ノーモアヒロシマ」のスローガンを掲げる唯一の国で

はなかったか。

人間ってなんと忘れっぽいのだろう。

いつのまにか、核爆弾と核エネルギーは違うのだと説得されて、平和利用なんだからと

自分たちをだましてきた。

人間は自分に都合のよいように物事を運ぶ。いつも便利に使っていながら電気の源に思

いを巡らさず、恩恵に浴していた私たち。

未来のエネルギー確保のためにどうすればよいか、国民一人ひとりがしっかり自覚しな

ければならない。


それにしても、放射能・野菜破棄・風評被害・失業の文字が頭の中をぐるぐるまわり、

怒りがだんだん湧いてきてどうしても感情的になる。

早くなんとかしてよ! 倒電さん!原子力安全・不安院さん!



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