12/12の日記          文は田島薫

ココア忘年会のゆくえ

間もなく親父のはしょった四十九日なもんで、茨城に帰ってまたしばらくおふくろのそ

ばにいてやろう、ってことにしたら、尾形歌人との間で、ココアの忘年会をこの日曜ぐ

らいにやらなくちゃいかんだろう、って話になり、そーかもしんない、って気になって、

サニーに相談しようと思ってたら、彼は週末に飲み会があるけどやりたい、って言って

くれたんだけど、連チャンは身体にわるいだろうし、家人も、みんな呼んで対応する気

力が出ない、って言うし、よく考えてみると今は私もそれほど気持ちが乗り気じゃない、

ってことで、去年に引き続きヤラナイ、ってことにした。


友だちとの予定もないなんだかうら寂しいような土曜の午後はおもしろいテレビもない

んで、戦争映画は観たくない、って言ってた家人も、じゃこれは私も永遠に観れないの

かな、って言う私の皮肉に折れ、以前留守録しといた「父親たちの星条旗」を観ること

に同意したんで一緒に観た。

壮絶な残酷シーンが沢山あることを覚悟してたんだけど、たしかにそれはあったにしろ

思ってたほどでなく、さすがクリント・イーストウッド、それを必要最小限に留めた表

現に力を感じた。


日曜の朝のテレビの美術館はポロックの特集だった。ポロックか〜、ちょっと退屈だな、

って思った。だって、ワンパターンのペンキしたたらし画法をあみ出し、それで大儲け

したおやじ、って偏見を私は持ってたからだった。

どうもよく話を聞くとその技法やったのは1〜2年だけで、絵が売れて儲けた、ってこ

ともなく不遇のまま次の模索をし続けた、ってほど創造を追究した人物だったようだ。

ポロックさん、どうも長年の間誤解してて失礼いたしました。


午後はおもしろいテレビもないんで、きのうに引き続きイーストウッドの二部作のもう

一方「硫黄島からの手紙」を観っか?って言ってみたら、こっちの方は日本側の話だか

ら、もっと残酷シーンが多いだろう、ってことで、家人はきっぱり「やだ」って言った。

仕方ないんで、同じく留守録しといた、さまぁ〜ず、を観て笑ったらまだ3時過ぎだし、

どうすっかな、って思いながらその場運動して、早めのとーふとビール。




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