思いつくまま、気の向くまま
  文は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
シャンせんせいは、こういうのがお好きなようです。





朝早く浅草の喫茶店に入った。

朝はやいといっても10時すこし前。商店がぽつりぽつりと開く時間だ。

そんな早くになぜ浅草に、なんてヤボは聞かないこと。


椅子にすわりタバコに火をつけたとき、となりに座っていた70年配の男が立ちあがり、

「おねえさん、おれ二つ持ってるからあげるよ」と言って100円ライターを少し離れた

席にいた若い女性にわたした。どうやらその前に女性がライターを借りたらしい。

そのとたん、離れた席から女の声で「あんたはほかの女にはやさしいんだから!」と大き

な声があがった。

しめた、朝から修羅場がみられると思っていたら、60年配のおばさんがにこにこ笑いな

がら男に近づき「あたしって女がいながら、なんだよ!。火もつけてくれないくせに」と

いったとたん「てめえなんか奥へいってガス管くわえて火をつければいいんだ」と男がこ

れも笑いながらやりかえした。

これでわかった。二人は仲のいいご近所さん、つづいて商売の話をはじめたからどちらも

商店の主なのだろう。女はきっと食べ物屋、店の奥に調理場があるのだ。

ライターをもらった女は、二人の会話にはさまれて当事者でありながらなんの反応もしめ

さなかった。きっとこの小粋なきわどい会話が理解できなかったのだ。

話しにつられて店の中を見回すと新聞を読む人、ぼんやりとタバコをくゆらす人、なにや

ら書きものをする人がてんでに座っている。みな、小店の主という風体。きっと店を開け

る段取りをすませたあとの息抜きなのだ。座っているときは知らん顔をしているのに出て

行くときはにこやかにあいさつを交わしていく。私心でいるときは不干渉、公の顔になっ

たときに仲間にもどる。きっと普段の絆が強いからこんな態度がとれるのだろう。


震災、原発の事故いらい「絆」という言葉がはやっている。

多分にマスコミが作り上げた風潮だ。

被害から遠い人間が「絆、きずな」とさわいでいるのをみて現地の人はどう思っているだ

ろうか。もともと農業や漁業など集団で営む仕事をしている人達は絆がつよいはずだ。

聞けば「ありがたいことです」と答えるが遅々として進まぬ震災復興対策や放射線対策の

現実にさらされる内心はどうだろう。

マスコミにあおられてイベントまがいの「絆ごっこ」をするより、被害を受けなかった者

が力を結集して、被災地復興にいまだ具体案をだせない間抜けな政府の尻を蹴飛ばし、一

日も早い復興への道筋をつけさせることが日本人としての本当の「絆」ではないかと思う。


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