●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
イキイキとした生活の中で、ふと、疑問が。



シリーズ あんな話こんな話

か・き・く・け・こ

A夫人は前髪をきれいな紫色に染めて、ちょっと若作りの服をおしゃれに着こなすステ

キな“アラ還”の婦人である。

夕方の4時半になるとプードル犬を連れて散歩に出るのを日課にしている。

散歩のコースは決まっていて、まず八幡神社へ行き境内を一回りして、そこから坂をだ

らだら下り最後に蓮池のある公園へ向かう。

そこにはこの時間愛犬家のたまり場のようになっている一角があるのだ。老若男女と大

型・小型・血統書つき・雑種犬がわいわい集まって犬の話はもちろん、さまざまな情報

が飛び交う社交場と化している。

A夫人はそこに参加するのが大きな楽しみになっていた。

今日の話題はアンチエイジングだった。

「あーた、年寄り臭くならない秘訣はね、か・き・く・け・こを実行するのが一番なの

よ。かは会話でしょ、きは興味、くは工夫、けは健康、こは恋心なんだって。頭文字を

とって“かきくけこ”ってわけ」

B夫人がしたり顔でしゃべり、周りの者は深くうなづいていた。

A夫人はその日公園からの帰り道、ちょっと物思いにふけっていた。その証拠にときど

き先を急ぐ愛犬にリードを引っ張られている。

「か・き・く・け・こ」

A夫人は口に出していってみた。たった今、公園で聞いてきた話を反芻していた。

(私の場合、会話は大丈夫、かなり社交家だし、興味なら好奇心旺盛でカルチャーセン

ターで勉強しているくらいだし、工夫はもちろんおしゃれとか家計に工夫を凝らしてい

るし、健康は血圧がちょっと高いけど問題ないし、あとは恋心…)

A夫人は恋心にも自信があった。美人で若作りで明るい彼女は若いときからかなりもて

たのだ。今でも男性との会話が楽しいし、やはりもてたいと思う。でも・・・

A夫人はこれって恋心だと思うが、恋ではないと思った。

(本物の恋ってこんな軽いものじゃないはず…一体私は本物の恋をしたことがあるのだ

ろうか?)

と自問自答する。

(ま、いまさら本物の恋をしたところで始まらないけど…でも、この歳になって何か物

足りなさを感じるのはなぜだろう…)

そのとき、A夫人ははたと気がついたのである。もてる、もてない、のレベルの恋はし

ても、自分はこの歳まで本物の恋はしたことはなかったのだ、と。



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